ウクライナは世界第三位の核兵器保有国の地位をなぜ放棄したのか/グレンコ・アンドリー
ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領は、ことあるごとに“核”の脅威をちらつかせてくる。その一方、ウクライナはソ連崩壊後、世界第3位の核兵器保有国であったという事実がある。ウクライナ軍は激動の近代史の中で、どう変容していったのか。日刊SPA!PLUSに掲載された『ウクライナ人だから気づいた 日本の危機』の著者・グレンコ・アンドリー氏による寄稿を再掲載する。
ソ連崩壊後、ウクライナはソ連から強い軍隊を受け継いだ。もちろん、ソ連がウクライナのために大軍を置いていったわけではない。ソ連の軍事戦略上、最も重要であったヨーロッパ方面に位置するウクライナには、大きな軍隊を駐屯させておく必要があった。そしてソ連政府は、ウクライナをソ連の不可分の一部として認識しており、そのウクライナがいつか独立するなど、まったく想定しなかった。
そのようなウクライナは永遠にソ連の一部であり続けるという前提で置かれた軍隊は、ある日突然、ウクライナの意思と関係なく、ソ連の崩壊によってウクライナに受け継がれた。
偶然だったとは言え、独立した時点でウクライナがその強い大軍を所有していたのは紛れもない事実だ。ではその後、ウクライナがタナボタ的に得た強い軍隊は、いったいどうなったのか、これから述べることにする。
さて、ウクライナが1991年末にソ連から独立した時点で、ウクライナ軍は次のような編成であった。
兵士780万人、戦車6500輌、戦闘車両7000輌、大砲7200門、軍艦500隻、軍用機1100機
そして1240発の核弾頭と176発の大陸間弾道ミサイルという、当時世界第三位の規模の核兵器も保有していた。
しかし、独立してから大規模な軍縮が始まった。核兵器に関して言えば、当時、米露から核兵器を放棄するようにという、脅迫に限りなく近い非常に強い圧力がかかっていた。もしこの要求に応じなければ、経済制裁や国際社会からの追放、最悪の場合は軍事行動という仕打ちが待っていただろう。経済危機やハイパーインフレに苦しんでいたウクライナはこの圧力に抵抗する力がなかった。
しかし、核兵器を手放すことはやむを得なかったにしても、当時のウクライナの指導者の姿勢は、国益護持から程遠いものだった。ウクライナの指導者達は外国の要求をすべて呑み、無条件に3年間ですべての核兵器を放棄するという決断を下してしまったのである。
その見返りとして、「米英露はウクライナの領土的統一と国境の不可侵を保証する」という内容の議定書だけを発表した。
だが、議定書は国際条約ではないので、それを守る法的義務はない。実際の国際関係では、法的拘束力のある国際条約ですら守られていないことが多いという事実を踏まえれば、最初から法的拘束力のない「議定書」などが守られるはずはない。
もし、当時のウクライナ指導者たちが国防の重要性を認識していたのであれば、要求通りの無条件放棄ではなく、例えば、核兵器を放棄する代わりに経済支援か、最新の通常兵器提供、もしくは急な放棄ではなく長年にわたる段階的な核兵器の処分、あるいはせめて法的拘束力のある国際条約の締結などを代わりに求められただろうし、またそうすべきであっただろう。
ちなみに、核弾頭や弾道ミサイルそのものだけではなく、それを格納、発射するためのインフラ、施設もことごとく破壊された。例えばウクライナ国内にあったミサイルサイロも全部破壊された(ロケット博物館という場所で、一つのサイロは残っているのだが、もちろん形だけ)。当然、核兵器そのものがなければ、ミサイルサイロなどの施設は無力であるが、それがあるだけで、ある程度の抑止力にはなっていたはずだ。だからせめて施設だけでも残すべきだったと私は思う。
さらに言えば、外圧が理由となっていた核兵器の放棄とは異なり、通常兵器の縮小は完全にウクライナ独自の判断によるものだった。軍縮の主たる理由は経済危機、つまり大きな軍隊を維持する資金をウクライナが持っていないと言われているが、例えひどい経済危機があろうとも、ウクライナにおける軍縮、軍事軽視の規模は想像を絶するものであった。
例えば(核兵器ではない)ミサイル防衛で言えば、ウクライナはR-17という戦域戦術ミサイル兵器(射程距離300キロ)を持っていたがすべて処分された。また戦域戦術ミサイル兵器のトーチカ(射程距離120キロ)を数十輌持っていたが、それは12輌まで減らされた。
ソ連崩壊で世界第三位の核兵器保有国に
米露による核兵器放棄の圧力
1987年ウクライナ・キエフ生まれ。2010~11年、早稲田大学へ語学留学で初来日。2013年より京都大学へ留学、修士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程で本居宣長について研究中。京都在住。2016年、アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」懸賞論文学生部門で「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと――真の平和を築くために何が重要なのか」で優秀賞受賞。月刊情報誌 『明日への選択 平成30年10月号』(日本政策研究センター)に「日本人に考えてほしいウクライナの悲劇」が掲載。
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