世界文化遺産から読み解く世界史【第55回:石の文化と木の文化(その1)】
西洋の石の文化と日本の木の文化
ピラミッドの問題を述べたところで、同時に確認しなくてはいけないのは、日本が木の文化であるのに対して、ピラミッドが石の文化であるということです。日本は自然の山があるために人工の山をつくる必要はなかったのですが、エジプトの人たちは山がなかったために、高い精神的な存在としての山をつくり、人々の天に向かう気持ちを代弁させ、体現したといえます。このピラミッドの石の文化と日本の木の文化の違いを私たちは強く認識しなくてはいけません。 日本はユネスコが始めていた世界文化遺産の運動に20年以上も参加していませんでした。その原因の一つは、日本の木の文化をユネスコが理解できなかったからだろうと思います。木というものは壊れやすいし、記念建造物として長く持つというものではないため、文化としてあたかもチープなものであるという偏見があったような気がします。 それは表に出た問題ではないのですが、日本人もまた木の文化が石の文化に劣っているかのごとく、少なくとも戦後の人々は思ってきたのです。壊れやすいし、燃えやすいし、そして長続きもしない文化で、石の文化に比べればちゃちに見える、小さく見えるということもあったのだろうと思います。 しかし、1994年に奈良で開かれた世界文化遺産の会議で、木の文化も立派な文化建造物であると認識されたのです。日本は1992年から参加していましたが、最初に世界文化遺産に認められたのが法隆寺であり、姫路城でした。これは両方とも木造建築物です(一部は石でつくられていますが、基本的には木でつくられているといっていいでしょう)。 西洋的な感覚からいうと、木の文化はやや低い文化と思われてきたわけです。なぜかというと、ヨーロッパにおいても木の建造物はありますが、そのほとんどはポーランドとかノルウェーにあり、その用途は農家のようなもので、木で長く持たせる記念建造物がほとんどなかったからです。 しかし、日本では法隆寺のように長く保存され、長く変わらずそこにあるというものも数多くあります。この事実は、日本という国が表現している非常に重要な文化の基本です。伊勢神宮にも見えるように、20年ごとに建て替えられても、伊勢神宮がオリジナルな姿を失っているかというとそうではないわけで、同じ形をずっと1300年も続けています。このこと一つとってみても、永続性あるいは永久性という意味において、木に依拠する日本の文化がヨーロッパや他の国々に勝るとも劣らない文化であるとわかるのです。 むしろ木のほうが人々にとっては近づきやすく、そして住みやすいのです。基本的に木は呼吸していますから、二酸化炭素を吸って酸素を出すという、人間と完全に逆の呼吸形態を持っています。人間にとってこれほど快いものはないわけです。住む上でもこれほど人間に調和するものはありません。 (出典=田中英道・著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 田中英道(たなか・ひでみち) 昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。著書に『日本美術全史』(講談社)、『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『日本の文化 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『世界文化遺産から読み解く世界史』『日本の宗教 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』『日本国史――世界最古の国の新しい物語』『日本が世界で輝く時代』(いずれも育鵬社)などがある。ハッシュタグ
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