朝鮮史講座…歴史に潜む反日の淵源 「第11講 :中国が遠隔操作する「第2中国人」とは何か?
威化島回軍
1368年に明が建国されてから20年間、朝鮮では親元派と親明派が激しく争いました。李成桂は親明派に与して、クーデター(「威化島回軍」)を起こし、闘争は親明派の勝利に終わります。 親明派の文人官僚たちは中国人にとって、「第2中国人」と呼ぶべき存在でした。文人官僚たちは儒教の素養を持つ有識者でした。 12世紀後半、中国の南宋王朝の時代、朱熹が現れます。朱熹の唱えた儒学理論は朱子学と呼ばれ、中国の知識人層に受け入れられていきます。 朱子学が科挙試験の主要科目となり、元王朝時代に一時期、停止されるものの、復活した科挙では、主要な準拠経書(参考書)として朱子学が認定され、国家教学とされます。 こうした中国の文化界の流れを朝鮮の高麗王朝も取り入れ、朱子学が最先端の学問として尊重されていました。中華に従うことが善
朱子学では、世界の中心たる「中華」に従うことが善であり、君臣父子の名分をわきまえるべきことが説かれます。 前述の鄭夢周らをはじめとする成釣館に属する朝鮮の文人官僚たちは朱子学を信奉し、漢民族の明こそが正統な天子であり、明に歯向かうことは「中華」や天子の国、さらには秩序を犯すことになると考えていました。 朱子学を重んじていた朝鮮の文人官僚たちは明王朝にとって、実に都合の良い味方であり、「第2中国人」として活躍を期待されたのです。 宇山卓栄(うやま たくえい) 著作家。著書に『朝鮮属国史~中国が支配した2000年~』(扶桑社新書)。ハッシュタグ
ハッシュタグ
おすすめ記事