朝鮮史講座…歴史に潜む反日の淵源 「第12講:中国に自ら服従する朝鮮人の心理」

司馬光

司馬光

北朝鮮の拉致・核問題の暴虐、韓国の執拗な反日政治、これらの異常さというのはいったい、どこから来るものなのか。著作家の宇山卓栄氏はその答えを、朝鮮特有の「歴史的隷属」に見出す。朝鮮半島は一時期を除き、約2000年間、中国の属国だった。中国への隷属は朝鮮人の心を蝕み、我々、日本人には考えられないような「精神の卑屈」を招いた、と宇山氏は説く。

『資治通鑑』の影響力


 朱子学は中国中心主義の中華思想と深く結び付いています。「華」というのは文明のことであり、漢人は文明の「中」にいる民族、即ち中華であり、周辺の他の民族は文明の「外」にいる夷狄(野蛮人)であるとされます。

 中華という言葉は唐の時代に編纂された歴史書『晋書』などにも使われていますが、この言葉を概念として定着させ、一般化させたのは宋王朝の司馬光です。司馬光は歴史家であると同時に、宰相にまで登り詰めた大物政治家でした。

 司馬光が編纂した『資治通鑑』(1084年完成)は全294巻の大歴史書で、編纂のための史局が設置され、宋王朝の全面的援助を受けて完成しました。

 時の皇帝神宗が「為政に資する鑑(かがみ)」と賞して、『資治通鑑』というタイトルになったのです。

 司馬光はこの『資治通鑑』の中で、儒学の思想に基づき、君主と臣下のわきまえるべき分を説く「君臣の別」や、漢人(華)の周辺異民族(夷)に対する優位を説く「華夷の別」を主張しています。

「華夷の別」とともに、文明の「華」の中にいる漢民族が歴史的に果たす使命というのは何かという中華思想が全面的に展開されます。

 高度な文化を擁する漢人は憐れな周辺蛮族に施しを恵んでやる寛容さも時には必要であるということが記述され、周辺民族をかなりバカにした内容となっています。

 その中で、日本や朝鮮などの東方の国は「東夷」と呼ばれ、周辺の野蛮人の一派に位置付けられています。

 南宋時代、朱熹は司馬光の『資治通鑑』を称賛し、これをもとに『資治通鑑綱目』を著し、大義名分論を展開して、中華思想が儒学の世界観の中に統合され、朱子学という民族主義的な新しい儒学体系が生まれます。

朝鮮における朱子学


 朝鮮の文人官僚たちは朱子学の素養を持つことが文化的洗練の証しであり、野蛮な未開人と訣別する道であると信じ、自らの思想を中国化していき、進んで「第2中国人」となったのです。彼らの中には中国に留学した者も多くいました。

 成釣館の文人官僚たちの権力の源泉は「中国と繋がっていること」でした。中国の内部事情に精通し、時に要人に頼み事を聞いてもらうこともできる、中国に顔が利くということが最大の武器だったのです。

 中国にとっては、彼らは使い勝手のよい「リモートコントローラー(遠隔操作要員)」のような存在で、公私にわたり惜しみない援助を与えました。

 つまり、中国は、朝鮮官僚に思想だけでなく、利権も与えたのです。朝鮮官僚たちにとって、後者の方が一層ありがたいものであったのは言うまでもありません。

 いつの時代でも、大国はこうした要員を支援し、自国に有利なように遠隔操作します。現在の日本でも、遠隔操作されているのではないかと思える人たちが各界にたくさんいます。

 明王朝の建国期において、中国はかつてない程、効果的にこうした要員を動かしました。孫子の兵法の極意は「戦わずして勝つ」ですが、明王朝は朝鮮の文人官僚たちを利用し、朝鮮を抑え込むことに成功したのです。

 朝鮮の主な朱子学者として三名挙げておきたいと思います。高麗末期の14世紀末に活躍した儒学者の権近(クォン・グン)は『入学図説』等を著し、朝鮮朱子学を大成させた人物です。

宇山卓栄(うやま たくえい)
著作家。著書に『朝鮮属国史~中国が支配した2000年~』(扶桑社新書)。





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