世界文化遺産から読み解く世界史【第59回:仏教の聖地の今昔――仏陀(釈迦)の生誕地ルンビニ】
インドの風土が選んだ宗教
仏教の開祖は、ご存じのように釈迦です。紀元前6世紀から紀元前5世紀にかけて、インドとネパールの国境沿いのカビラバストゥ地方を支配していたシャーキャ族の王妃マーヤー夫人が、白い象が胎内に入る夢を見て懐妊し、生まれてきたのが釈迦であるとされています。その釈迦生誕の町が、ルンビニです。1896年にアショカ王の石柱が出土したということで、釈迦生誕の地であることがわかったのです。 仏教の聖地でありながら、大寺院や大仏があるわけではありません。それは、仏教はインドで生まれたけれど、インドでは育たなかったということです。 サンチ(インド)には仏舎利塔(ストゥーパ)と祠堂、僧院が残っていますが、全くの遺跡です。大きさの点で目をひくのは、大塔とよばれる仏舎利塔で、直径36.6メートル、高さ16.5メートルほどあります。これはアショカ王の時代、紀元前3世紀頃につくられ、紀元前2世紀頃に拡張されたとされるものですが、これもやはり遺跡となっています。 紀元後1世紀頃から、ガンダーラ地方を中心に仏教美術が起こってくるわけですが、インドでは仏像もつくられず、仏舎利塔という建築が仏教の跡をとどめているだけです。 インドのマハーラーシュトラ州の断崖にある石窟にアジャンターの石窟があります。岩窟にはたくさんの壁画が描かれていて、インド最古の壁画とされています。もちろん仏教絵画です。ここに描かれた絵を見れば、インドでの仏教が、少なくとも石窟がつくられた時代には盛んであったことがわかります。こうした作品が、後に法隆寺の金堂壁画にも影響を与えていたことでしょう。仏教絵画の最古のものといっていいものです。 壁画に描かれているのは、釈迦の前世の物語を表した本生図や、釈迦の一生に起こったさまざまな事件を描いた仏典図です。特に第16窟・第17窟の壁画の保存状態がよく、私もその壁画を見ましたが、仏教がこの地に育たなかった理由がわかる気がしました。 それはどういうことかというと、絵が非常に官能的に描かれているのです。インドは暑い国ですから、どうしても肉体を目に触れるところに露出することになります。そうした環境は、人間の煩悩を超えようとする、肉体性を超越しようとする仏教とは合わないのです。釈迦の唱えた教えは、人間の肉体が持っている欲望、本能といったものを超えていこうとする、克服していこうとする、そういう厳しい面を持っています。それ自体は非常に尊い教えではあっても、インドには合いません。インドの風土に合わないのです。 そうした風土に合った宗教がヒンドゥー教です。いまは、インドといえばヒンドゥー教というイメージがあります。後からきたイスラム教も入ってきていますが、インドの宗教といえば、ヒンドゥー教を基本に考えていいと思います。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』『日本国史』『日本が世界で輝く時代』ほか多数。ハッシュタグ
ハッシュタグ
おすすめ記事