朝鮮史講座…歴史に潜む反日の淵源「第14講:『朝鮮』は国号なのか?」

ソウル景福宮本殿内部

ソウル景福宮本殿内部(著者撮影)

北朝鮮の拉致・核問題の暴虐、韓国の執拗な反日政治、これらの異常さというのはいったい、どこから来るものなのか。著作家の宇山卓栄氏はその答えを、朝鮮特有の「歴史的隷属」に見出す。朝鮮半島は一時期を除き、約2000年間、中国の属国だった。中国への隷属は朝鮮人の心を蝕み、我々、日本人には考えられないような「精神の卑屈」を招いた、と宇山氏は説く。

朝鮮という国号

「朝鮮」は国号なのでしょうか。朝鮮側は国号として「朝鮮」を捉えていたかもしれませんが、中国側はそれを国号として与えたのではなく、地方名として与えました。  国号というのは主権を持った独立国家に冠せられるものです。中国が朝鮮を独立国家と認めていないことは明白であり、その意味において「朝鮮」を国号と捉えるべきではありません。朝鮮側も明の宗主権を認めているのですから尚更のことです。  明は李成桂に「権知朝鮮国事」という称号を与えます。この称号を「朝鮮王代理」とする解釈がありますが、それは朝鮮側の勝手な解釈です。 「権知国事」というのは「知事」くらいの意味です。また、「権」は日本の権大納言や権中納言と同じく、「副」「仮」という意味があることから、「権知国事」は「知事」ですらなく、「副知事」や「仮知事」という意味になります。  明の朱元璋は李成桂が勝手に高麗王を廃位して、自ら王に即位したことに対し、不快に思っており、李成桂を朝鮮王として認めませんでした。

諸侯王としての扱い

 漢王朝の時代、中国には郡国制という地方制度がありました。これは地方に、諸侯王や諸侯を配し、彼らに地方政治を委任するという制度です。  漢の武帝の父の景帝の時代に起こった「呉楚七国の乱」というのを聞いたことがあるかと思います。呉や楚などの七国は「国」と称されものの、いわゆる「国家」ではなく、漢王朝の一部としての地方に過ぎません。  諸侯王は「王」と称されるものの、いわゆる「国王」ではなく、漢王朝の地方知事の役割を背負っていました。  中国には、こうした郡国制のような伝統もあり、「国」や「王」が多用されることがありますが、それは近代で使われる主権国家や国王とは意味が異なります。  李氏朝鮮三代目の太宗が明によって正式に「朝鮮国王」に冊封されますが、これも「郡国」的な意味における諸侯王という扱いに過ぎません。  その証拠に、李氏朝鮮の王は「陛下(ペハ)」ではなく、一段格下の「殿下(チョナ)」と呼ばれます。世継ぎも「太子(テジャ)」ではなく、「世子(セジャ)」と呼ばれます。  つまり、「陛下(ペハ)」という主権者は朝鮮には存在しなかったのです。 宇山卓栄(うやま たくえい) 著作家。著書に『朝鮮属国史~中国が支配した2000年~』(扶桑社新書)。
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