世界文化遺産から読み解く世界史【第64回:中国の三大石窟に欠けているもの】

敦煌莫高窟(縮小)

敦煌莫高窟

日本の仏像と中国の仏像は何が違うのか?

 中国では、龍門、雲崗、敦煌が三大石窟と呼ばれています。  敦煌は、ゴビ砂漠の中央アジアに近い場所にあり、その莫高窟は仏教美術のメッカとされています。石窟の長さは1680メートルもあって、上下数段に大小734もの窟岩が開かれています。全部石窟です。豊かな色彩も施されて、技術的に優れたものが多くあります。保存状態がいいのは、中国本土から遠かったこともあるでしょう。    しかし、これらも同じように画一的です。釈迦像が中心であることもその原因でしょう。なぜなら、釈迦像は菩薩像と違ってすでに解脱しています。人間的な欲望や煩悩を持ちません。そういう段階である釈迦像を表現するために、当然、人間的な要素を捨象してしまいます。そのために、どうしても画一的にならざるを得ないところがあります。  しかし、その一方で、ある種の官能性が残っています。そういう通俗性が敦煌の彫刻にも見られます。日本の釈迦像のような徹底した超越性を持っていません。いわば、ちょっとにやけた仏像が多いのです。  仏像をどう見るかということですが、形式的につくられていれば仏像だということでは、仏像を見ることの重要さが理解できていないということになるのです。この辺が莫高窟を含めて、中国の三大石窟に欠けているところです。  これは、身びいきでいっているのではなく、日本だけに「仏師」という言葉があることと関係していると私は考えています。中国や朝鮮には「仏師」という言葉がありません。仏像をつくる人間に、仏教をしっかり勉強して仏像をつくるという概念がなかった、そういう訓練がなかったといってもいいでしょう。こういう像をつくってほしいという要望に応える形でつくられたにすぎない像なので、仏教的な悟りや諦観、あるいは人間観が欠けているといえるのです。  しかし、仏像といえばすべて同じもののように見なしてしまう、あるいは中国やインドのほうが日本よりもはるかに優れたものだと思ってしまう先入観、これが日本人の伝統としてあるのです。日本の仏教美術史が、そうした「形」の価値観が理解されずに書かれたのも、そういう理由によるものと思われます。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』『日本国史』『日本が世界で輝く時代』(いずれも育鵬社)ほか多数。
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