世界文化遺産から読み解く世界史【第65回:実用性の産物――万里の長城】

万里の長城(縮小)

万里の長城

日本人と中国人の違いは万里の長城に表れている

 万里の長城は、初めて中国を統一した秦の始皇帝が、紀元前221年に築いたのがその最初といわれます。それは、北方の遊牧民族、匈奴に対する防衛のためでした。それ以後、燕、趙、北魏、北斉、北周など歴代王朝が増築を重ね、これに14世紀から17世紀に繁栄を誇った明が、さらに大規模な増築を行って、今日のような壮大な長城となったのです。全長約7000キロメートル、総延長距離はおよそ5万キロメートルといわれています。

 この万里の長城が、世界文化遺産として認定されたことに対して、個人的には異論があります。なぜなら、万里の長城は異民族からの侵入に備えて築かれた城壁にすぎないからです。異民族の侵入への防御という厳しい現実への対処であり、極めて実用的な背景からつくられたものだからです。

 本来、こうしたものは文化遺産にはならないと思うのですが、その是非はともかく、万里の長城にも象徴されるように、中国人の志向が、非常に実際的なものに心が注がれるという一面を表していると思います。
 
 日本の場合、お寺にしても、大仏殿にしても、さらにはお城にしても、そうしたものをつくるときには、文化的創造の意思がその基本にあります。美をつくる、あるいは精神的なものをつくるということが先にあるのですが、万里の長城には、実用性しかありません。軍事的目的のためにつくられたという点で非常に現実的です。こうした動機が、中国人のものをつくる上での原動力となっているということは、ある意味で、中国の本質をよく表していると思います。

 往々にして、中国がアジアの文化を代表しているようにいわれるのも、中国が近代になってイギリスの支配を受け、欧米列強の侵略の対象になったことで、中国文化が欧米に知られるようになったこと、あるいはその文化を評価されるようになったことに由来すると思われます。ロンドンの大英博物館には数多くの中国の遺物、資料、芸術作品が収められており、それによって中国の文化が日本よりもはるかに評価されてきたということがあるのです。

 一方、日本は侵略も略奪もされなかったために、欧米に日本の遺物や芸術がほとんど伝えられていませんでした。せいぜい日本から輸出された陶器の包み紙だった浮世絵が、彼らの目を引き、日本から手放された浮世絵が集められたというぐらいでした。

 また、中国は欧米から理解されやすかったということもいえるのです。それは、中国の思考パターンが基本的に実用主義でわかりやすく、政治も実力主義、権力主義で単純であるという点が欧米と共通していたということです。中国の帝政、易姓革命による歴史の変遷などは、西洋とも重なるものがあるのです。
 
 しかし、日本は政治、経済、文化のいずれも中国とは異質です。かつては、トインビーのように、中国を理解すれば日本も理解できるというような考え方もありましたが、今日では、日本と中国は異質な国ということが、ようやく当たり前のことのように理解されるようになりました。それはまた同時に、日本人も日本と中国の異質さをようやく理解するようになってきたということでもあります。

(出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社)

【田中英道(たなか・ひでみち)】
東北大学名誉教授。日本国史学会代表。
著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』『日本国史』『日本が世界で輝く時代』(いずれも育鵬社)ほか多数。





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