現代日本の川辺文化のイノベーション: 北浜テラス5

社会実験としての河川敷利用

 2005年、「社会実験」の形ではじめて、河川敷地内に飲食可能なテラスが作られることになる。その事例は広島だったが、その後、この経験を活かす形で、北浜でも2008年に実験が行われることになった。  かねてより、真夏の天神祭の時には、土佐堀川の北浜エリアでは、一部川床を出していたという。だからその風習を祭りの時以外にも適用しようということで、社会実験が行われたのである。  そして、大阪府の水都大阪のイベントの際に改めて「北浜テラス」が本格的に導入されることになったのは、先に述べた通りである。  なお2005年の社会実験や、2009年での北浜テラスの設置にあわせて、社会実験やテラス(川床)を想定するものへと許可制度が改定されている。  そして、北浜テラスの経験をふまえて、民間主体でも河川区域を占有可能となったり、「国」ではなく「都道府県」が占用区域を指定することが可能となったり等、許可制度自体も改定されている。  つまり北浜テラスは、河川に関わる法制度の変遷の流れを受けて実現した一方で、その北浜テラスの取り組みそれ自体が河川に関わる法制度を改定させていったのである。

北浜テラスを実現させた、「水辺まちづくり運動」

 このように、北浜テラスは一面においては、国レベルの河川に関する法制度の変遷の中で実現したものではあるが、もう一面においては、政府や行政とは何の縁もゆかりもない、「大阪の川」をただ愛する一般の人々の努力の賜たまものでもあった。  そもそも、新しい河川法の下、大阪府は、北浜の河川敷地を、カフェやレストランのテラスに利用することを「許可」したのだが、「許可」を与える対象は個々の店舗ではなく、「北浜水辺協議会」という団体であった。  各店舗は、この「協議会」からテラス設置を承認される、という格好となっている。この北浜水辺協議会は、民間の任意団体としては全国ではじめて、「河川敷の包括的占用者」に許可された団体だったのだが、この団体がなければ、北浜テラスは今日の形で実現することはあり得なかった。  そして、この協議会の設置にあたって中心的役割を果たした団体の一つが「水都OSAKA水辺のまち再生プロジェクト」というNPOであった。  このNPOは、水辺不動産という不動産会社を経営する末村巧氏らによって2000年に設置された4人の小さな集まりだった。この4人はもともと「大阪の川」が好きで集まり、船を借りてあちこちの川を探索するなど、大阪の川で「遊ぶ」活動をしていたという。  そんな時、北浜あたりを船で通過していると、多数のホームレスが河川敷の空間で寝泊まりしているようすが目に入った。ホームレスたちが皆ブルーシートを使っており、いかにも景観上望ましくない。  ということで、当初は、もう少し景観に配慮した色彩である「ブラウン」のシートを配布する、「ブラウン・シート大作戦」を展開し、景観改善を果たす活動もしていたという。 藤井聡著『インフラ・イノベーション』(育鵬社刊より) 著者紹介。1968 年奈良県生まれ。京都大学大学院教授(都市社会工学専攻)。第2次安倍内閣で内閣官房参与(防災・減災ニューディール担当)を務めた。専門は公共政策に関わる実践的人文社会科学。著書には『コンプライアンスが日本を潰す』(扶桑社新書)、『強靭化の思想』、『プライマリー・バランス亡国論』(共に育鵬社)、『令和日本・再生計画 前内閣官房参与の救国の提言』(小学館新書)など多数。
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