金一族の熾烈な後継者争い

『北朝鮮を正しく理解するためのチュチェ思想入門』連載第9回 <文/篠原常一郎:元日本共産党国会議員秘書>

金一族の家系図

 本稿では、実際にチュチェ思想の教えの裏で、現実の北朝鮮の政治あるいは領導者の家系、いわゆる革命的血統の中で、どのような出来事が起きているかということを述べたいと思います。これをもって、チュチェ思想の危険性が浮き彫りになることでしょう。

図 金一族の家系図

 図は金一族の家系図です。一番上にいるのが、チュチェ思想の創始者とされている北朝鮮の建国の父でもある金日成主席です。チュチェ思想の教えでは、金日成が創始者ということになっています。金日成は1994年に亡くなっています。  その息子が金正日総書記です。この2代目は、社会主義国としては初めて世襲の最高指導者でした。金正日は1970年代の頃に後継者として明らかにされ、金日成が亡くなった1994年からご自身が亡くなる2011年まで北朝鮮の最高指導者でした。  金正日が亡くなる1年ぐらい前でしょうか、現在の指導者である金正恩委員長を後継者とするお披露目を行ったのですが、その矢先に亡くなってしまいました。  チュチェ思想の基本的な考え方は、社会が自主化されるにあたって人民は手足の役割を果たし、朝鮮労働党に指導された行政組織は神経系血管系、指導を人民に対してきちんと統制する役割を果たし、その上に領導者としての革命的血統が世襲していくというものです。この領導者は人民からは選ばれません。あくまで革命的血統が世襲していきます。  日本のチュチェ思想の指導者である尾上健一さんも著書の中で、この社会変革の自主化へ向けた革命運動の中で、領袖を見いだすことの喜びというのはチュチェ思想にとって大事であると言っています。

金日成と金正日の来歴

 彼らが崇拝しているその領導者の家系が上手く行っているかと問われれば、実態を見てみると決して上手く行っていないと言わざるを得ません。それを明らかにしてくれたのは、元北朝鮮のロンドン公使、外交官をやられていた太永浩【テヨンホ】氏が書いた『三階書記室の暗号 北朝鮮外交秘録』(李柳真訳、文藝春秋、2019年)という本です。本書が明らかにしてくれた内容はたくさんありますが、その中で私が着目したのは、聖家族内の粛清の裏事情についてです。  どういうことなのか説明します。まず、創始者の金日成です。金日成は、実はソ連軍、パルチザンと称して中国共産党指揮下のゲリラ部隊、東北連軍の朝鮮人部隊に加わって、満州で主に戦っていました。日本と満州国の討伐隊に追われて苦戦して、とうとうソ満国境を越えてソ連側に逃げた。そして、ソ連の極東方面でソビエトの赤軍に繰り入れられ、第88特殊旅団という部隊の大尉として、ことが起こった際の対日特殊戦の要員として確保されました。  その中で、金正淑【キムジョンスク】という、やはりその部隊に参加した朝鮮人の女性と結ばれます。そこで生まれたのが金正日と妹の金敬姫【キムギョンヒ】です。  チュチェ思想にある不可分の歴史伝説としては、金正日は中朝国境にある白頭山(別名:長白山)の山麓の、パルチザンの密営で生まれたことになっております。金正日はロシア側で生まれたので、出生名はユーリイ・イルセノヴィチ・キムという名前でした。朝鮮式の幼名は有羅(ユーラ)。ロシア人名「ユーリイ」に由来しています。  金日成がソ連側にいた頃は、金成柱【キムソンジュ】という本名を名乗っていました。金成柱大尉を指導していたソ連の高級将校が証言していますし、この金正淑との間に生まれた金正日の乳母をしていた人の証言も得られています。  ともかくも金日成は一男一女をもうけましたが、チュチェ思想に基づく継承者は男性1人ということだったので、自動的に金正日が継ぐことになりました。世襲そのものがおかしいという話ではあるんですけど、それはとりあえず置いておきます。それと金日成の次男で金万一【キムマニル】という子供もいましたが、1947年、わずか4歳で溺死しています。  一方、妹の金敬姫は、1972年に張成沢【チャンソンテク】という朝鮮労働党の幹部と結婚して暮らしていました。張成沢は金正日・金正恩体制における実質的なナンバー2となりましたが、2013年に処刑されます。処刑の事情については改めて述べたいと思います。

金正日と関係した女性たち

 金正日は女性関係がなかなか派手だったようです。何人もの女性と関係していました。  まずは正妻の成蕙琳【ソンヘリム】です。正妻との間に生まれた子供が金正男【キムジョンナム】でした。金正男は日本のディズニーランドに来て捕まったことがありました。2017年2月、マレーシアのクアラルンプール国際空港で、ベトナム人とインドネシア人の二人の女性に暗殺されました。  次に愛人の金英淑【キムヨンスク】です。この人との間には、金雪松という女性が1974年に生まれています。  同じく愛人の高英姫【コヨンヒ】ですが、彼女は大阪出身の在日朝鮮人出身で、歌劇団の女優でした。歌劇団の人というのは同時に、「喜び組」みたいな存在です。喜び組とは、党の高級幹部たちを接待するための要員で、美しい女性ばかりが選ばれます。女優も例外なくそういうポジションに位置付けられて、幹部のところで特別に公演したり、気に入られたら一夜を共にするということもあります。そういう中で見初められた人です。  この高英姫との間には、長男の金正哲【キムジョンチョル】、次男で今の最高指導者の金正恩、それから妹の金与正【キムヨジョン】をもうけました。  生涯最後の愛人が秘書の金玉【キムオク】でした。この人は今どこにいるかよく分かりませんが、多分ご存命だと思います。年齢は1964年生まれの50代後半です。

金正日の子供たち

 お分かりのように金正日には正妻との間に男の子が1人います。金正男です。そして、愛人との間に男の子が別に2人いました。金正恩と金正哲です。このうちの誰が金正日総書記の後継指導者にふさわしいのか、という問題が生じます。  北朝鮮では、後継者を他から連れてくるわけにはいきません。あくまでも革命的血統の中から後継者を持ってこなければなりません。ここで実は、本来は理想的な家族である聖家族の中で、ものすごく苛烈な権力争いが起こっていました。  さて、金日成主席は金正日の派手な女性関係については面白く思っていませんでした。金正日は、父の金日成に愛人の金英淑を会わせようとして、金日成からたいそう怒られたということがありました。  金正恩の母の高英姫は、北朝鮮の社会では在日朝鮮人二世ということで、非常に身分が不安定な状態でした。だから高英姫は、できれば金日成主席にお目通しを願って、家族の一員として正式に認められて、できれば記念写真を子供、つまり金日成から見た孫も含めて撮ってほしいという気持ちが強かった。高英姫はそういう働き掛けを、金正日を通じて行っていました。  しかし、それは絶対やめろと邪魔したのが、金正日の側近の張成沢でした。張成沢は、金正日より少し年上ですがアドバイスをしています。「もうお父さんは健康も悪いんだから、あまり刺激的なことはしないほうがいい」と。結局、高英姫は金日成に認められることはありませんでした。だからでしょか、高英姫は息子の金正恩らに対して、「張成沢はとんでもない人間だ」という話をしていたそうです。  一方の金正男は、指導者の道を歩んでいましたが、1990年代に偽のパスポートを使って日本に密入国をしたことがバレて、日本の当局に拘束されてしまいました。これが致命傷となり、金正男は後継者から外されてしまったのです。その後、金正男は放蕩息子という感じでマカオに住んでいました。  そして、高英姫との間の子供の兄・正哲と弟・正恩の2人が後継者として残りました。しかし、金正哲はなかなか文学青年風でおとなしい人で、だから性格的には弟の金正恩の方がしっかりしているだろうということになったのです。 【篠原常一郎(しのはらじょういちろう)】 元日本共産党国会議員秘書。1960年東京都生まれ。立教大学文学部教育学科卒業。公立小学校の非常勤教員を経て、日本共産党専従に。筆坂秀世参議院議員の公設秘書を務めた他、民主党政権期は同党衆議院議員の政策秘書を務めた。軍事、安全保障問題やチュチェ思想に関する執筆・講演活動を行っている。著書に『なぜ彼らは北朝鮮の「チュチェ思想」に従うのか』(岩田温氏との共著、育鵬社)、『日本共産党 噂の真相』(育鵬社)など。YouTubeで「古是三春(ふるぜみつはる)チャンネル」開局中。
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