立川流前座に「師匠・談四楼の魅力」を聞いてみた
徒弟制度が厳しい落語界に、44歳という年齢で飛び込んだ男がいる。立川寸志、現在45歳。昨年8月、44歳のときに落語立川流の立川談四楼師匠に弟子入りし、現在、立川流の前座として修業中だ。そんな立川寸志さんにインタビューを申し込んだところ、約3時間にわたって丁寧に話をしてくれた。せっかくなので、落語ファンならニヤリとしそうな話をロングインタビューでお届け! 落語ファンでない人にももちろん読んで欲しいのですが、後半から書き手が落語をまったく知らない人へ向けて説明するのを放棄してしまいました(笑)。ということで、ウェブならではの「おまけ」として、お楽しみください!!
――ということで、寸志さん。前のページでは寸志さんの前座入門までを概観したんですが、入門以前、以後の話をもう少し深くお聞きしたいんですね。
寸志:はい、わかりました。
――で、まず、寸志さんって見た目が若いですよね。初めて高座を拝見したときに、ちょっと年はくっているけど、ずいぶんと「寿限無」が上手い前座さんだな、落研出身で30歳手前ぐらいで入門してきたのかな、なんて思っていたんですけど、打ち上げで実際の年齢を聞いてびっくり仰天して(笑)。
寸志:確かに若いと言われることは多いんですが、それはお客様が「前座って若いものだ」と思われているからじゃないかな、と。
――落語の世界に飛び込んで、編集者時代よりストレスがないから若く見えるのかな、なんて勝手に思っていたんですけど。
寸志:今の前座生活でもストレスはありますが(笑)、会社員時代に比べてはるかにやりがいはあります。
――落語の稽古以外にも前座さんはいっぱい仕事があるわけですが、以前に談四楼師匠の独演会で、「着物の畳み方がなっていない」と怒られていましたよね。でも、立川流って、毎日寄席があるわけじゃないから、師匠に着物を着させたり、畳んだりっていう機会が少ないから大変じゃないかな、と思ったんですけど。
寸志:でもそれは、「毎日、家で畳んで練習しろ」ってだけの話ですよ。入門したての頃は毎日、着物を畳んで練習していました。ここらへんが年を取って入門したことのマイナス点ですね。「頭ではわかっているけど、手が動かない」って師匠にもよく怒られます。でも、噺家ってこんなに手を使うもんだとは思いませんでしたよ。太鼓を叩くにせよ、着物を畳むにせよ、着替えさせるにせよ……。
◆二つ目への昇進は何年後?
――ちなみに、立川流では前座から二つ目に昇進するのに、家元であった談志師匠が定めた「落語50席と、さらに歌舞音曲、多少の講談をマスターすること」という基準がありますよね。寸志さんは年齢も年齢ですから、早めに二つ目になるために落語を数多く練習しているんですか?
寸志:もちろん根多数を増やすことは大事なんですが、家元が亡くなってから立川流は理事会制度になり、今の基準のほかに「前座から二つ目になるのは最低3年の修業期間が必要」と定められました。
――あ、そうなんですか。この間、談笑師匠のお弟子さんの吉笑さんが前座から二つ目に1年5か月で昇進されたので、寸志さんもスピード昇進を目指すのかな、なんて勝手に思っていたんですけど、ルールが変わったんですね。でも、3年って決められちゃうと、あと2年前座が続くのは厳しくないですか?
寸志:いえ、きっとうちの師匠もそれぐらいの期間を考えていたと思います。おそらく僕のことを分かってくれていると思うんですが、早めに昇進しちゃうと多分、僕はすごく天狗になるんで(笑)。
――ちなみに、寸志さんは昨年8月入門ということは、大師匠である談志師匠には生前お会いしていないんですよね。
寸志:はい。
――談志の孫弟子である、ということはやはり誇りなんですか?
寸志:もちろん家元は大好きでしたし、「立川」を名乗れるのはものすごくうれしいことですね。
――ちなみに、家元といえば「上納金制度」が有名ですが、孫弟子の方も上納金を払っていたんでしょうか? 理事会制度になって上納金はなくなったって聞きましたけど、入門時は家元はご存命でしたものね。
寸志:それは私も入門するときに、恐る恐る師匠に聞いたんですけど、「ああ、ないない。大丈夫」って(笑)。初期の孫弟子だった方は払っていたと思います。
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取材・文/織田曜一郎(本誌) 写真提供/スズキマサミ
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