田原総一朗がテレビ局を追われた35年前の問題作
「原発の安全性ということに関して、なぜこのようにいつくもの数字が飛び交っているのだろうか。数字が違うのは計算のプロセスを構成する前提が間違っているからだろう。(中略)借りものの数字だけがぶつかり合うのなら、それは科学ではなく政治的ご都合主義だ」
「日本の原子力開発は確かにアメリカのデッド・コピー(模倣品)だが、それを批判する側もまたアメリカのレポートや数字のデッド・コピーを使っている。つまり、これはデッド・コピーどうしの論争なのではないか」
「脱原発」か? それとも、「それでも原発推進」か? 学者や専門家のあいだで侃々諤々の議論が交わされるようになった“3・11”以降に書かれた文章ならさほど驚かないだろう。
だが、これがしたためられたのは高度経済成長期が終わる76年――。
ちくま文庫から“復刊”した『原子力戦争』は、実に今から35年も前に、若かりし頃のジャーナリスト・田原総一朗氏が書き上げたものだ。
「当時も、推進派と反対派それぞれの立場の人が、それぞれの言いたいことだけを主張した体裁の本が書店に並んでいましたよ。ただ、僕が書きたかったのはそんな単純なものじゃなかった。原子力の開発に群がっていた推進派・反対派双方に取材して、そこに複雑に絡み合った思惑の先にいったい何が隠されているのかという点を炙り出したかっただけ……」
田原氏がこう当時を振り返るように、『原子力戦争』を読むと、多くのステークホルダー(利害関係者)たちが、魑魅魍魎のごとくうごめく描写で溢れている。
エネルギー開発の主導権争いをする官僚と電力会社、労組の後ろ盾を得た反対運動家たち、利権にありつこうと従順を決め込む地元住民、その裏側で暗躍するメディアや広告代理店。さらには、アメリカをはじめとする諸外国の動き……と、あえて「小説」の体裁で描かれた登場人物たちは、「仮名」で登場しているがゆえ、みな歯切れよく問題の深層を曝け出しているのだ。
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田原氏が『原子力戦争』を書こうと思ったきっかけとは?
取材・文/山崎 元(本誌)
『原子力戦争』(ちくま文庫)
70年代、原子力船「むつ」の放射線漏れ事件を背景に、安全より巨大利権が優先される過程を鋭く衝いた渾身の1冊。田原氏自身を投影したTVディレクター・大槻が物語を引っ張る。76年にATG映画として製作され、このときの主演・原田芳雄が原発を巡る利権争いに巻き込まれるヤクザを演じたが、これが原作を捻じ曲げたものであったためこの後「封印」になるという逸話も
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