スポーツ

柔道はそもそもスポーツなのか?それとも武道なのか?

武道とスポーツをご都合主義的に使い分けている講道館

 にもかかわらず講道館は柔道が国際的競技スポーツとなった今日においても武道であるかスポーツであるかを明確にせず、その時々でご都合主義的に振舞っていることが様々な問題を生じさせてしまっています。  柔道の歴史に詳しい村田直樹講道館図書資料部長は「『伝統』と『スポーツ』の使い分けをしながらこの伝統文化を営み続け、今日もそのディレンマ解決の出口無きままである」(体育科教育 2005年11月号)と苦しい胸の内を語っています。また村田部長は「日本人にとって、武道かスポーツか、というどちらかに足場を置くかによって、色々違う答えが出てくるという問題が、現在将来にわたって立ちはだかってくる」と語っています(近代柔道 2015年12月号)。つまり柔道が武道であるかスポーツであるかは個人の解釈に任せるしかないと諦観しているのです。  史上最強の柔道家・木村政彦の著書で知られ大宅壮一賞を受賞した作家の増田俊也さんは講道館=全柔連は「国際化のなかで『柔道はスポーツである』という言葉と『柔道は武道である』という言葉を使い分けするうちに、自家撞着に陥り、自分たちでも何を言っているのかわからなくなっている」と苦言を呈しています(ゴング格闘技 2009年9月号)。  歴史的経緯で言うと、終戦5年後の1950年に文科省はGHQに対して「柔道は民主的スポーツ」だとして学校柔道の再開を申し入れ、軍国主義の温床とされた武道であることを自ら否定した上で学校柔道の実施が許されました。日本の指導者の中にはいつか再び武道を精神教育の中心として復活させようという志を持つ者もいましたが、ズルズルと競技スポーツ化の波に溺れ、以来「柔道=スポーツ」はほぼ既成事実となってしまっているのです。

そもそも武道の定義とは何なのか?

 柔道が武道であるか否かを論じる前に武道とは何ぞやという定義を明確にする必要があります。現代の意味通りの「武道」という言葉は日本語起源であり、少なくとも日本では用語上の定義が明確であるかと思いきや、実はそうでもないのです。  1964年の東京五輪後、武道ブームとなり、65年に日本体育大学に初の武道学科が設立されるなど、武道研究の気運が高まりました。そこで68年に武道の学術的交流を統合的に行う機関として日本武道学会が設立されました。  ですので、日本武道学会はすぐにでも武道の用語上の定義を明確に定めるものと思いましたが、それにはとんでもない時間を要しました。日本武道学会の1968年第1回大会のテーマは、当然のごとく「武道の概念」。ところが、何年経っても「武道の概念」は明確化されません。長年の紆余曲折があって、2006年第39回大会のテーマは「武道の概念まとめ」となっています。「まとめるのに何十年掛かっているのか!」と突っ込みを入れたくなりますが、その後も延々と武道の概念は定まらず、湯浅晃天理大学教授によると「いまだその総括が十分に行われないまま現在に至っている」(月刊武道 2016年1月号)とのことです。百鬼史訓(なきりふみのり)日本武道学会会長は「まだ文言として『武道とはかくあるべし』という定義や概念についてクリアに説明ができかねています」(月刊武道 同上)と語っています。  武道の用語上の定義は、2008(平成20)年に「武道の理念」が定められたことで、一応、形にはなりました。そこで定められている武道とは、掻い摘んで説明すると「武士道の伝統に由来する日本起源の文化的固有性」と「人格を磨き道徳心を高め礼節を尊重する精神性」を有することを特徴として定めています。武道が「武士道の伝統に由来する」とする点について藤堂良明筑波大学教授(定年退官)によると現代における武道の概念は、武士の行動規範としての武士道とは一線を画すものであるとのことであり(月刊武道 2016年1月号)、「武道の理念」が定められた2008年以降にも武道の概念は激しく揺れ動いていることが伺えます。この「武道の理念」の制定自体も、「中学校武道必修授業が始まろうというのに、武道とは何かが決まっていなければまずいだろう」と極めて便宜的、暫定的に定められただけのものであると推測されます。
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世界は「武道」をどのように理解してる?
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