1億円以上の保険金目当てに従業員や子どもを殺害…夕張事件、首謀者夫婦の末路とは?【大量殺人事件の系譜】
過去には、明治天皇や大正天皇の崩御などに際して、死刑囚が無期懲役に減刑された例がある。昭和天皇が重篤な状態だった当時、何人かが控訴や上告を取り下げ、刑を確定させている。1984年に連続殺人事件を起こし、一審で死刑判決を受け控訴中だった澤地和夫は、同じ東京拘置所に収監中の別の死刑囚から、恩赦について次のような手紙を受取っている。
結局、澤地は控訴を取り下げることはなく、最高裁まで闘って死刑が確定した。一方、本稿の主人公であるHは控訴を取り下げ、死刑を確定させた。だが、昭和天皇の崩御にあたっては、恩赦が一切行われることはなく、H夫妻のあては大きく外れてしまった。H夫妻はその後、「法律的な知識が乏しい中で、恩赦があると誤認して控訴を取り下げてしまった」として、控訴審のやり直しを申請したものの認められることはなかった。 結果的に控訴取り下げによって、死刑の執行が早くなったことは否めない。1997年8月、H夫妻は同じ日に絞首台に立った。女性の死刑執行は、戦後3例目だった。自分の子どもを、親を、仲間を、金銭のために惨殺する。計画的で悪質性が高い保険金殺人は、この事件前後から増加し始めていった。<取材・文/青柳雄介>
<沢地さん、これに乗り遅れると大変な損になります。何しろ自分の命がかかっているのですからね。こういうチャンスにめぐり会えるのは、だれの人生にもそうそうあるものではありません。沢地さん、腹をきめて控訴を取り下げて刑を確定させるべきです。そうでないと千載一遇のチャンスをみすみす逃すことになります>(澤地和夫著『東京拘置所死刑囚物語』より)
結局、澤地は控訴を取り下げることはなく、最高裁まで闘って死刑が確定した。一方、本稿の主人公であるHは控訴を取り下げ、死刑を確定させた。だが、昭和天皇の崩御にあたっては、恩赦が一切行われることはなく、H夫妻のあては大きく外れてしまった。H夫妻はその後、「法律的な知識が乏しい中で、恩赦があると誤認して控訴を取り下げてしまった」として、控訴審のやり直しを申請したものの認められることはなかった。 結果的に控訴取り下げによって、死刑の執行が早くなったことは否めない。1997年8月、H夫妻は同じ日に絞首台に立った。女性の死刑執行は、戦後3例目だった。自分の子どもを、親を、仲間を、金銭のために惨殺する。計画的で悪質性が高い保険金殺人は、この事件前後から増加し始めていった。<取材・文/青柳雄介>
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ