「麻原もオウムも憎んでいない」松本サリン事件、冤罪被害者・河野義行の意外な声【大量殺人事件の系譜】
―[大量殺人事件の系譜/青柳雄介]―
第一通報者を疑え――。捜査の鉄則だ。被害者が事件発生を連絡したところ、たまたま最初の通報者だった。以来、警察からもメディアからも“犯人”のレッテルを貼られ、孤独で苦しい闘いが続く。心の支えとなったのは――。
松本サリン事件(1994年)大量殺人事件の系譜~第15回~
<薬品の調合を間違えて白い煙がパーッと上がった、と警察の事情聴取で(河野さんと澄子さんが)話した>メディアではなぜか、事実とは異なるこんな報道が出た。だが当時、澄子さんは重篤で、事情聴取に応じられる状態にはなかった。被害者だった河野さん夫妻は、“犯人”とされてしまったのである。1か月後に退院するとすぐ、重要参考人として警察でポリグラフ(うそ発見器)にかけられ、自白の強要も行われた。執拗な取調べが続く中、澄子さんの意識は戻らず、周囲からは白眼視され、誹謗中傷の手紙が大量に届く。河野さんにとって、精神的に辛い状況が続いていた。 疑いが晴れたのは半年以上が経過した1995年だった。3月、オウム真理教に対する強制捜査が行われ、松本サリン事件が同教団の犯行であることが明らかとなったのだ。オウム真理教は松本市を拠点の1つにする計画を進めていたが、土地取得などで裁判になるなどトラブル勃発。松本市の裁判官官舎を標的に、神経ガスであるサリンを噴霧したのだった。 未曾有のテロ事件である松本サリン事件は、被害者である河野さんが一転、容疑者扱いされた。警察の杜撰な捜査とそれに乗ったメディア報道が、大きな二次被害を生んでしまった。河野さんの疑惑は晴れても、妻・澄子さんの意識は戻らない。それでも病院に澄子さんを見舞い、話しかけてきた。自分の声が必ず届いていると信じて。
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