更新日:2022年08月21日 11:48
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1億円以上の保険金目当てに従業員や子どもを殺害…夕張事件、首謀者夫婦の末路とは?【大量殺人事件の系譜】

 怨恨、痴情のもつれ、社会への恨み、貧困、遊行費欲しさ。事件の要因はもろもろあるが、生命保険のニーズが高まった1970年代から1980年代にかけて、保険金の搾取を狙った犯罪が増加した。

夕張保険金殺人事件(1984年)大量殺人事件の系譜~第14回~

 1億円以上の保険金をせしめた「夕張保険金殺人事件」(1984年)は当初、何の疑いも持たれていなかった――。  事件が発覚したのは、仲間割れからだった。首謀者は暴力団組長のH(当時41歳)とその妻(同38歳)、実行犯は部下のI(同24歳)。炭鉱下請け会社を経営していたH夫妻は、従業員に多額の保険金を掛け、Iに従業員宿舎の放火を指示した。結果、子ども2人を含む6人を殺害、約1億4000万円の保険金を手に入れたのだった。  その夜、1984年5月5日はジンギスカン鍋を囲んで、従業員たちの宴会が開かれていた。警察や消防が出火の原因としたのは、その火の不始末。火災事故は一件落着したはずだった。ところが3か月後、Iは警察に対し、「事件はH夫婦を首謀者とする保険金目当ての放火で、自分が実行犯」と、衝撃的に打ち明けたのだ。

※写真はイメージです

 発覚していない事件を、Iはなぜ自ら“自供”したのか。事前の計画でIは、Hから500万円の報酬を受取る約束だったものの、実際に渡されたのは75万円のみ。H夫妻に対して不信感を抱いたことに加え、事情を知っている自分はいずれ抹殺されるのではないか。そう感じてIは警察に駆け込んだのである。  ほどなくして3人は、放火殺人詐欺の疑いで逮捕された。  Hと妻は以前から、炭鉱労働者を斡旋する仕事をしていたが、事件の3年前、1981年10月、93人が死亡した「北炭夕張新鉱ガス突出事故」が発生。Hが斡旋した労働者7人も犠牲になった。このとき、保険金1億3000万円あまりがH夫妻のもとに転がり込んだ。
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濡れ手で粟のような形で手に入れた大金
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