更新日:2017年07月03日 21:32
スポーツ

すべてが連なるプロレス・サーガ『1984年のUWF』――柳澤健×樋口毅宏

猪木たちが作った磁場に引き寄せられた次世代

⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1306659 樋口:「UWFとは佐山である」と、本作の表紙を見てもわかるように柳澤さんは書かれました。根本的な問いかけですが、柳澤さんはなぜ佐山聡がプロレス界に現れたのだと思いますか? 僕も何度も考えたんです。選手として超一流。新しい格闘技を作る人としても超一流。どうしてあんな天才が現れたのか。 柳澤:天才が現れる理由なんてないんじゃない? 天才は忘れた頃にやってくる(笑)。ただやっぱり本当に猪木さんが作りだしたプロレス、最強の格闘技という幻想というものがものすごく巨大だったんだと思う。 樋口:「プロレスこそ最強の格闘技である」という思想。目には見えない強力な磁場が働いていたと。 柳澤:いくら遠くにいても、佐山の出身である下関まで磁力が及んだってことでしょう。佐山聡ほどの運動神経の持ち主なら、どんなことをやっても一流になったと思いますけどね。 樋口:そうですね。佐山は高校時代に、同じ高校の先輩でオリンピックに行った人がいて、短距離走や走り幅跳びとか、陸上の記録と同タイムを自分も出していたと、むかし日刊スポーツの連載記事で本人が語っていましたから。佐山は呼ばれたということですか。 柳澤:うん。当時のアントニオ猪木はテレビのすごい人気者だったし、彼自身もプロレスは最強の格闘技だというようなファンタジーを振りまいていた。そうか。頑張って俺もプロレスラーになれば、世界一強い男になって、テレビの人気者にもなるんだ。そういう磁力があった。クラッシュ・ギャルズが、長与千種全盛の時に、オーディションに3000人来たと言ってました。やっぱり3000人の中から選ばれるのと何十人の中から選ばれるのは全然違うでしょう。クラッシュの時に入門志望でやってきた3000人の中から選ばれた何人かが、やっぱりその後の時代の主役として生き残っている。長与千種が作り出してしまった磁場の影響で、アジャコングや北斗晶という後の時代の主役たちが生まれてきたわけです。猪木さんという人の作り出してきたものによって、やっぱり前田にしても佐山にしても、ということなんじゃないのかな。それほどまでに、猪木や長与の輝きが大きかったってことなんじゃないのかなって思います。 樋口:僕は一時期プロレスを見なくなっていたんですが、オカダ・カズチカが現れてまた見るようになりました。 柳澤:そうなんだ。オカダ・カズチカ偉大だなあ。 樋口:それで本当に残念なのはプロレスって例えば、プロレスのピークが力道山としますね。視聴率がほぼ100パーセント。戦後最大の英雄。次に馬場・猪木。ゴールデンタイムに民放のテレビ局が週に二回放送していた。その次が新日の金曜夜8時、初代タイガーなどで視聴率20パーセント。さらに次、ゴールデンタイムから撤退した後も、闘魂三銃士を中心として一年に東京ドーム三回。すべて6万人以上動員。ところがいまプロレスがまた人気があると言われても、1.4の東京ドームにお客さんが3万人に届かない。それで結局何が言いたいかと言うと、プロレスがどうして目減りしてしまったのか。結局は理論武装ができていないからじゃないかって思う時もあるんです。世間の「八百長でしょ?」に明確な返答ができない。「あいつはわかっていない」とか「痛みは真実だ」とか、「この世の中にあるのは白と黒だけじゃない。曖昧なのがいい」としか言い返せない。これはプロレスラーの責任だけじゃなくて、プロレスのジャーナリストが不在というのもあるのかなと考えてしまうんです。今の新日のレスラーは黄金時代と言われていた頃と比べものにならないぐらいハードで、超絶面白い試合をしているのに。 柳澤:それはね、すごく不在だと思います。例えば猪木さんの頃には、村松さんがいましたよね。 樋口:本当に最高の語り部でしたよね。 柳澤:猪木さんが衰えた頃に村松友視という語り部が現れた。80年代末から90年代半ばくらいまでのUWFにはターザン山本の『週プロ』があった。マニアは少しでも早く読みたいと早売りの売店に12時過ぎに買いに行ったし、一見のお客でもなんか今『週プロ』すごいらしいよっていう風に、なんとなく手にとってしまうみたいなところがあった。今はそれがいない。だから結局、プロレス村の中でちょこちょこ回していくということになっている。だから逆に言うと、今プロレス入門書が今必要だけれども入門書がないわけでしょ、そうなら僕が作ればいいんじゃないって思っている。たとえば『1984年のUWF』って、プロレス入門書足りうると思うんです。 樋口:コンビニで売っていたり、テレビでしょっちゅう取り上げているというわけではないので、関心が無い人が簡単に手に取れるわけではないのですが。でもこれは教科書になります。 柳澤:ここから入って、YouTubeなんかでスーパータイガー対藤原喜明の試合を見る人は、ものすごく増えると思う。ものすごくといったって限られているけど(笑)。たとえばタイガーじゃなくてサミー・リー。イギリス時代の佐山が名乗っていたサミー・リーがこんなすごかったっていうのが、今だったらYouTubeで簡単に見られる。 樋口:ホントびっくりですよ。 柳澤:今は映像がそこここに散らばっているので、ちゃんと入口さえ作ってあげれば結構深く入っていける。今は中邑、棚橋やオカダとかがすごい。中邑はWWEに行ったけど、プロレスを知らない人が入ってくるための入口はまだまだ狭い。私の書く本を入口に、入門書として機能してくれないかな、とは思ってます。
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85年のクラッシュと84年のUWF
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1984年のUWF

佐山聡、藤原喜明、前田日明、高田延彦。プロレスラーもファンも、プロレスが世間から八百長とみなされることへのコンプレックスを抱いていた―。UWFの全貌がついに明らかになる。

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