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すべてが連なるプロレス・サーガ『1984年のUWF』――柳澤健×樋口毅宏

柳澤さんに次に書いてほしいもの

樋口:僕の方からぜひリクエストを。これは他のところからもさんざん言われているでしょうけれども書いていただきたいのが、「1993年のK-1」です。 柳澤:あぁ、K-1。 樋口:ジャンボ鶴田も書いてほしいんです。鶴田にとって何年がエポックメイキングとすべきかはわかりませんが。鶴田に正当な評価を出さなければ。人によっては鶴田こそ日本人レスラー最強説をとなえますし。 柳澤:鶴田のピークは三沢と戦った時のヒール鶴田でしょ、基本的に。だからあれじゃないの、ライオネス飛鳥みたいなもんで。 樋口:フィジカルエリート。 柳澤:フィジカルエリートが初めて三沢を痛めつけるヒールの立場に立たされた時に、初めてこの野郎っていう感情が生まれる。たかが三沢ごときに負けさせられて冗談じゃない、みたいな。それまではノホホンと生きてきたわけだから。 樋口:「天才」という一語では生やさしい。 柳澤:とにかく馬場さんと組んでザ・ファンクスとやったデビュー戦の鶴田の運動神経というのは、本当に信じられない 樋口:ハンセン曰く、「なんでこんな強いやつが日本人なんだ」って。 柳澤:衝撃を受けるよ、本当に。You Tubeに転がってます。 樋口:今話しててあれも思い出しましたよ。藤原喜明が当時、『週刊プロレス』で編集長だったターザン山本にインタビューされたやつ。藤原が「UWF? あれは俺が新日本にいた頃にもう作ったんだよ」みたいなインタビューがあって、全発言をカタカナで載せたんですよね。 柳澤:覚えてる覚えてる。 樋口:一読者として衝撃でしたし。当時『週プロ』と『ロッキング・オン』がなかったら、僕は絶対に雑誌を作りたいとは思いませんでした。 柳澤:私も『ロッキング・オン』は読んでたもんね。 樋口:今の『週プロ』と『ロッキング・オン』じゃないんです。 柳澤:でもほら12才も違うから、私が『ロッキング・オン』読んでたのは、岩谷宏とかがデビッド・ボウイについて書いたり、竹田やよいがマンガ描いてた頃だもん。 樋口:創刊メンバーがいた頃ですね。岩谷さんも増井修さんもそれぞれ回想録も読みましたけど、僕の世代だとどうしても90年代が、ロックが最後の色んな輝きを放っていました。百花繚乱。グランジとUKのオウェイシスとブラーなどなど。 柳澤:オエイシスか。発音がいいね。オアシスね。 樋口:はい、オウェイシス。これまたロックファンもこうるさいんですよ。僕はリングにもステージにもスクリーンにも上がれなかったからこんな人間になってしまったんです。柳澤さん今日はありがとうございました。さーて、京都に帰って子育てします。 柳澤:樋口さんありがとうございました。 【柳澤 健】 1960年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、メーカー勤務を経て、文藝春秋に入社。編集者として『Number』などに在籍し、2003年にフリーライターとなる。2007年に処女作『1976年のアントニオ猪木』を発表。著書に『1985年のクラッシュ・ギャルズ』『1993年の女子プロレス』『日本レスリングの物語』『1964年のジャイアント馬場』『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』がある。 【樋口毅宏】 1971年、東京都生まれ。 出版社勤務ののち、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。 2011年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補・第2回山田風太郎賞候補、 2012年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。新潮新書『タモリ論』はベストセラーに。その他、著書に 『日本のセックス』『雑司ヶ谷R.I.P.』『二十五の瞳』『ルック・バック・イン・アンガー』『甘い復讐』『愛される資格』『ドルフィン・ソングを救え!』や、サブカルコラム集『さよなら小沢健二』がある。 取材・文/碇本 学
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1984年のUWF

佐山聡、藤原喜明、前田日明、高田延彦。プロレスラーもファンも、プロレスが世間から八百長とみなされることへのコンプレックスを抱いていた―。UWFの全貌がついに明らかになる。

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