ユウキロック×中川家――オンバト、ボキャブラ勢とは違う“NSC同期”の絆
お笑いコンビ『ハリガネロック』と『中川家』。NSCの同期であり、「M-1グランプリ」をはじめ、数々の賞レースで激闘を繰り広げた“ライバル”とも呼べる存在だった。しかし、月日が経った今……。中川家がお笑い界で光を放ち続けている一方で、ハリガネロックは解散。まさに勝者と敗者。果たして、その明暗はどこでわかれたのか……。
ハリガネロックのボケ担当だったユウキロックは、自叙伝『芸人迷子』のなかでNSC時代からのライバルだった中川家への想いを敗者としてただ綴ることしかできなかった。だが実際、中川家はどのような考えで勝者への道を進んできたのだろうか。今ようやく、両者の想いが現実として交錯する――。
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ユウキロック(以下、ユウキ):まさか本当に中川家がこのイベントに出てくれるとは思っていなかったよ。ルミネ終わりに剛と偶然会ってね、「イベント呼んでよ~」って話になって。俺からしたら、『芸人迷子』でいろいろと書いて、中川家がいちばん怒っているんじゃないかと心配していたから「ええの?」ってビックリ。
礼ニ:本も読んだけど、こんなことまで覚えているんだってのが正直な気持ち。あと、俺らとはまったく別のフィールドでやってたものだと……。
剛:こんなに熱く思っていたのかと(笑)。
ユウキ:聞きたかったのが、中川家は「(心斎橋筋)2丁目劇場」を卒業するのが異常に早かったよな。支配人が代わって「漫才禁止令」が出て、コントだけになった。そしたら早々といなくなった。あの真相はなんで?
礼ニ:いや、1か月ぐらいは残ったかな。予備校のコントとかやっていたもん。でも、単純に居場所がないなと思って。コントはやっていても全然おもろなかった。上の先輩たちがごそっと抜けて、トップだった千原兄弟さんとかは東京に行って。そこから次で変わったやん。これはもう俺らは出たほうがいいと。
ユウキ:組織が大きく変わったときだったからな。
剛:シャンプーハットと2丁拳銃を売り出そうとしているのを感じていた。そこで、俺たち中川家がハマらないことは明らかだったもん。俺ら邪魔やろうなと。
ユウキ:とはいえ、2丁目劇場にいることの価値やステータスはあったやん。打算的かもしれんけど。それを捨てられる?
礼ニ:それこそ打算でやってみたんだけど、ウケても自分たちが楽しめないことに耐えられなかった。だから、最後のほうはペンとか投げてたもん。意味もないのに。壁をどついて無駄にセットを壊したり(笑)。
剛:こんな狭いところでやってられるかってフテくされて、その次は「梅田花月」に放り込まれた。そこ、広いんやけど地下なんよ。窓はないし、壁は水が垂れてくるし、精神的におかしくなりそうだった。さらに、周りは年齢層が50歳以上になる。
ユウキ:場所が変わるとお客さんもね。
剛:いや、先輩が(笑)。50歳どころか60歳以上もいるから話が合わない。
礼ニ:ちょうど、そっちの2丁目が潰れることになって、「base よしもと」になる。そこ発信のテレビが始まって、みんなが番組をやっていたとき、俺らは地下やったん。
ユウキ:そっかぁ……。こっちに復帰するみたいな話はなかったん?
礼ニ:なかった。当時はほかに仕事もないし、じつはすごい苦しかったよ。そっちはどうだったん?
ユウキ:2丁目劇場に属していたから、こっちは“本流”ともいえる場所にいた。それを利用せなアカンと。劇場がシャンプーハットと2丁拳銃を売り出そうとしているのはわかっていたから、それならば、お客さんにとって、その次に好きな芸人になろうと(笑)。
礼ニ:そっちのほうが、かしこかったかもしれんな。
ユウキ:でも自分たちのネタに自信があったから出ていったんじゃないの?
礼ニ:自信なんかあるかい! いまだに探り探りや!
剛:代表作もないのに。いつまでもウダウダやって……。
礼ニ:ありがたいことに“本格派”って呼ばれるけど、“本格派”っていちばん俺らに合わへん。だって他人の台本通りにやったことないし、自分らで決めたことでさえ舞台に出ていったら潰すという。どこが本格派や。営業先の地方では、その街の悪口ばっかり言う。だってそのほうがお客さんが喜ぶから(笑)。
ユウキ:俺とまったく逆や。ハリガネロック言っときながら、営業先では「イオンばんざーい!」「イオン大和店ばんざーい!」。もうイオンさんに喜ばれて喜ばれて(笑)。
礼ニ:まあ、そんなこんなで2週間に1回の梅田花月しか仕事がなかったとき、『さんま御殿!!』に救われたね。結果的にやけど。
ユウキ:え、テレビに出てハネたん?
剛:全然ハネへん。さんまさんから「22点」言われた。
礼ニ:そりゃそうや、当時はだれも俺らのことなんて知らないんだから。その前に、読売テレビで『ZAIMAN』という番組もあった。「base よしもと」とかのシバリがなく、吉本の若手がネタをやれたんよ。NGKでは夜に特別興行もあった。
剛:そういうのがあったおかげで、だんだんと……。
ユウキ:いろんな関係ないところでの仕事があって、それで救われていたと。2000年頃のお笑いブームの前だもんね。中川家がフジテレビの番組とかもやるようになって、外の世界で揉まれながら成長していく姿を見て、自分の選択が間違っていないのか、考えさせられたもん。当時は戦国時代やったから……。
中川家が“base芸人”ではない真相「俺らは地下に放り込まれていた」
明治大学商学部卒業後、金融機関を経て、渋谷系ファッション雑誌『men’s egg』編集部員に。その後はフリーランスとして様々な雑誌や書籍・ムック・Webメディアで経験を積み、現在は紙・Webを問わない“二刀流”の編集記者。若者カルチャーから社会問題、芸能人などのエンタメ系まで幅広く取材する。X(旧Twitter):@FujiiAtsutoshi
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●『芸人迷子』会議〜ユウキロックに聞いてみよう〜
日時:4月18日(火)OPEN18:30〜、START19:30〜
場所:阿佐ヶ谷ロフトA
出演:ユウキロック、錦鯉、真夜中クラシック、シティホテル3号室、矢野号、ヤーレンズほか
『芸人迷子』の迫力に魅了されたお笑い芸人たちが阿佐ヶ谷集結! 公開ネタ見せも実施予定。詳細はコチラ
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『芸人迷子』 島田紳助、松本人志、千原ジュニア、中川家、ケンドーコバヤシ、ブラックマヨネーズ……笑いの傑物たちとの日々の中で出会った「面白さ」と「悲しさ」を綴った入魂の迷走録。 |
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