野茂の次には彼がいた。メジャー51勝の豪腕、大家友和(41歳)現役引退を語る
以下はそのインタビューの一部である。
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「肩の手術をして球速が戻ったら、自分の技術をもってすればまだまだ勝負できる、と思っていたんです。
術後もリハビリを重ねて、執刀医の先生からも異常なしのお墨付きをもらって、それでいざマウンドから投げたら肩は痛いし、球速は戻らない。2月、3月と徐々に暖かくなれば球速は戻ってくるかと期待したのですが、思い切り投げてもダメだった。練習だけは続けましたが、自分の中では頭打ちになってしまった。そんなとき、悪ふざけじゃないけど、どうせ肩が痛いのだから、痛くなくなるまで……という消極的な理由でナックルを投げはじめたのが最初でした。
誰かに『投げろ』と言われたり、誰かの影響でナックルを投げはじめたのではないんです」
握り方もメチャクチャ、と本人が言うとおりナックルボーラーへの道のりは手探りが続いた。
「でもね、投げているとたまにアクション(不規則な変化)が起きるんです。それで頻繁に投げるようになりました。普通ピッチャーはボールに良いスピンをかけようとする。だけどナックルはボールが回転したらダメ。同じピッチャーなのにナックルボーラーだけは真逆なんです。僕の感覚でいうと、腕の振りとか、ボールを持つ指にちょうど良く力が入る“パーフェクトな瞬間”があるんです。負荷も引っかかりもない。そのときにボールが手から離れると、アクションが起こるんです……」
※この記事の完全版は、7/11発売の「SPA!7/18号」でご覧ください。
<プロフィール>
‘76年、京都府生まれ。京都成章高から’94年ドラフト3位で横浜(現DeNA)に入団。日本でわずか1勝だったが、’99年に渡米。レッドソックス、エクスポズ等で先発投手としての2桁勝利を3度記録し。’10年横浜に復帰、’13年からは独立リーグでプレーした。メジャー51勝68敗、日本プロ野球8勝17敗
<大家友和の球歴一覧>
’94-98年
横浜ベイスターズ(当時)
’99年-’01年7月
ボストン・レッドソックス
’01年7月-’04年
モントリオール・エクスポズ(当時)
’05年1月-06月
ワシントン・ナショナルズ
’05年06月-’06年
ミルウォーキー・ブルワーズ
’07年01月-’06月
トロント・ブルージェイズ
’07年06月-07月
セントルイス・カージナルス(MLB登板なし)
’07年07月-08月
シアトル・マリナーズ(MLB登板なし)
’08年
シカゴ・ホワイトソックス(MLB登板なし)
’09年
クリーブランド・インディアンス
’10年03月
キンタナロー(メキシコ)(登板なし)
’10年04月-’11年
横浜ベイスターズ(当時)
’13年
富山サンダーバーズ(独立リーグ)
’13年12月-’14年03月
トロント・ブルージェイズ(MLB登板なし)
’15年03月-08月
富山サンダーバーズ(独立リーグ)
’15年08月-’16年
福島ホープス(独立リーグ)
’17年1月-03月
ボルチモア・オリオールズ
取材・文/小島克典(スポカルラボ)撮影/ヤナガワゴーッ!
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