更新日:2022年09月25日 10:37
スポーツ

野茂の次には彼がいた。メジャー51勝の豪腕、大家友和(41歳)現役引退を語る

 以下はそのインタビューの一部である。 ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1360848

ナックルボーラー転身について語る大家

「肩の手術をして球速が戻ったら、自分の技術をもってすればまだまだ勝負できる、と思っていたんです。  術後もリハビリを重ねて、執刀医の先生からも異常なしのお墨付きをもらって、それでいざマウンドから投げたら肩は痛いし、球速は戻らない。2月、3月と徐々に暖かくなれば球速は戻ってくるかと期待したのですが、思い切り投げてもダメだった。練習だけは続けましたが、自分の中では頭打ちになってしまった。そんなとき、悪ふざけじゃないけど、どうせ肩が痛いのだから、痛くなくなるまで……という消極的な理由でナックルを投げはじめたのが最初でした。  誰かに『投げろ』と言われたり、誰かの影響でナックルを投げはじめたのではないんです」

"自己流"と言うナックルボールの握り

 握り方もメチャクチャ、と本人が言うとおりナックルボーラーへの道のりは手探りが続いた。 「でもね、投げているとたまにアクション(不規則な変化)が起きるんです。それで頻繁に投げるようになりました。普通ピッチャーはボールに良いスピンをかけようとする。だけどナックルはボールが回転したらダメ。同じピッチャーなのにナックルボーラーだけは真逆なんです。僕の感覚でいうと、腕の振りとか、ボールを持つ指にちょうど良く力が入る“パーフェクトな瞬間”があるんです。負荷も引っかかりもない。そのときにボールが手から離れると、アクションが起こるんです……」 ※この記事の完全版は、7/11発売の「SPA!7/18号」でご覧ください。 <プロフィール> ‘76年、京都府生まれ。京都成章高から’94年ドラフト3位で横浜(現DeNA)に入団。日本でわずか1勝だったが、’99年に渡米。レッドソックス、エクスポズ等で先発投手としての2桁勝利を3度記録し。’10年横浜に復帰、’13年からは独立リーグでプレーした。メジャー51勝68敗、日本プロ野球8勝17敗 <大家友和の球歴一覧> ’94-98年 横浜ベイスターズ(当時) ’99年-’01年7月 ボストン・レッドソックス ’01年7月-’04年 モントリオール・エクスポズ(当時) ’05年1月-06月 ワシントン・ナショナルズ ’05年06月-’06年 ミルウォーキー・ブルワーズ ’07年01月-’06月 トロント・ブルージェイズ ’07年06月-07月 セントルイス・カージナルス(MLB登板なし) ’07年07月-08月 シアトル・マリナーズ(MLB登板なし) ’08年 シカゴ・ホワイトソックス(MLB登板なし) ’09年 クリーブランド・インディアンス ’10年03月 キンタナロー(メキシコ)(登板なし) ’10年04月-’11年 横浜ベイスターズ(当時) ’13年 富山サンダーバーズ(独立リーグ) ’13年12月-’14年03月 トロント・ブルージェイズ(MLB登板なし) ’15年03月-08月 富山サンダーバーズ(独立リーグ) ’15年08月-’16年 福島ホープス(独立リーグ) ’17年1月-03月 ボルチモア・オリオールズ 取材・文/小島克典(スポカルラボ)撮影/ヤナガワゴーッ!
1
2
週刊SPA!7/18・25合併号(7/11発売)

表紙の人/ 山下智久

電子雑誌版も発売中!
詳細・購入はこちらから
※バックナンバーもいつでも買って、すぐ読める!
おすすめ記事