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ウダイ・フセインの元影武者 現在の職業は?

ラティフ・ヤヒア

ラティフ・ヤヒア氏。右の額にある大きな傷跡が、彼の影武者としての過酷な日々を物語っている 撮影/植松千波

イラクの元独裁者、サダム・フセインの息子ウダイ・フセイン。2003年7月にイラク戦争中に死亡した人物だが、彼はかねてより数々の残虐な行為により世界的に名を知られていた人物だった。

 有名な話としてはウダイはイラク・オリンピック委員長を務めており、成績の悪いスポーツ選手に対して日常的に拷問を行っていた。1993年のサッカーのワールドカップ予選での「ドーハの悲劇」と呼ばれる、日本対イラク戦。日本が2-1でリードしていたにも関わらず、ロスタイム中にイラクのゴールが決まり、日本中が落胆に暮れた。だが、イラク代表選手たちは、この試合で負けたら、ウダイに拷問されることになっていたという。
 
 この「悪魔」と呼ばれるウダイには、実は影武者がいた。その人物の名はラティフ・ヤヒア氏。高校時代のウダイの同級生で、彼ととてもよく似ていたことから影武者生活を強いられ、その実話をもとにした映画『デビルズ・ダブル』が、現在、公開中である。

 公開に先立ち、SPA!は戦場カメラマンの渡部陽一氏と、ラティフ氏との対談を行った。その模様は現在発売中の週刊SPA!1月31日号「文化堂本舗」にて掲載されているが、ちょっとだけラティフ氏のライフヒストリーをご紹介しよう。

 ラティフ氏はバグダッドの裕福な家庭に育ち、イラクでトップレベルの教育を施す男子校に通っていた。そこにウダイが転校してきたことが、彼が影武者となる遠因になる。

 数年後、兵役でイラク陸軍に属していたときに、突然、ウダイに呼ばれ、影武者となることを強制された。歯と顎の整形手術をされ、湾岸戦争のときにはウダイの代わりに最前線での演説をしたあとに、反政府ゲリラの襲撃を受け11発の弾丸を受けた経験も持つ。

 その後、1991年にウダイの元を逃れ、ヨーロッパ各地を転々とする生活が始まる。CIAなどの各国情報機関が彼に接触したが、協力を拒んだおかげで、最近まで生活していたアイルランドではパスポートも与えられず、最初はホームレス同然の生活だった、と彼は語っている。

 しかし、実際に会ったラティフ氏は、とても誠実に話をする人物ではあるが、仕立てのよいスーツを着ている。

「現在は、どうやって生活しているんですか?」と尋ねると、「服飾ビジネスで成功し、生活に不自由はなくなりました。今は探偵事務所も経営しているんですよ。調査したいことがあったら、依頼をお待ちしています(笑)」とのこと。

 影武者として政治の中枢を垣間見て、亡命後はさまざまな諜報機関と接触してきたラティフ氏。これは凄腕のエージェントに違いない。一般の人には関係ないが、万が一、ヨーロッパで何か調べなければならないことが起きたりしたら、彼に依頼することをオススメする。

 ただし、彼のHPはこれまで何度も(ラティフ氏によれば11回)、彼の存在を快く思わないCIAによってクラックされているらしいので、アクセスできるかどうかは運次第か!? <文/織田曜一郎(本誌)>

週刊SPA!1/31号(1/24発売)

表紙の人/臼田あさ美

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