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テリー・ファンク “荒馬”から“生ける伝説”へ――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第36話>

 気がつくと、すっかり髪の薄くなったテリーはFMWのリングで大仁田厚と“ノーロープ有刺鉄線電流爆破超大型時限爆弾デスマッチ”を闘っていた(1993年=平成5年5月5日=川崎球場)。  “涙のカリスマ”大仁田は、テリーが全日本プロレスのリングでシークやブッチャーと闘っていたころテリーの身のまわりの世話をしてくれたヤング・ボーイだった。  1970年代後半からずっとテリーをみてきた“テリー・ファンク世代”のファンにとって、テリーと大仁田の再会はごく自然なものだった。  ふたりの関係は師匠と弟子のようでもあり、トシの離れた兄弟のようでもあった。そして、なによりも人一倍感激屋さんで涙もろいところがいちばんよく似ていた。  テリー―シークとサブゥー―大仁田の“大河ドラマ”はひとつのムーブメントとなり、アメリカでは新団体ECW(エクストリーム・チャンピオンシップ・レスリング=ポール・ヘイメン代表)がテリーを“教祖”にこのハードコア・ムーブメントを理論体系化した。  大仁田と“電流爆破デスマッチ”をおこなってから2年後、テリーはFMWから分裂したIWAジャパンの“キング・オブ・デスマッチ・トーナメント”に出場(1995年=平成7年8月20日、川崎球場)。  同トーナメント決勝では“デスマッチ男”カクタス・ジャックがテリーを破って優勝。このデスマッチ路線はECWと“同時進行”だった。  テリーとECWの結びつきについては、ドキュメンタリー映画『ビヨンド・ザ・マット』に克明に描かれている。  “リビング・レジェンド”テリーは、53歳でECW世界ヘビー級王座を獲得した(1997年4月13日、ペンシルベニア州フィラデルフィア)。  サウス・フィラデルフィアの場末のビンゴ・ホールは“聖地”ECWに姿を変え、インディー・シーンの大物だったサブゥー、カクタス・ジャック(ミック・フォーリーMick Foley)、サンドマンSandman、レイヴェンRaven、シェーン・ダグラスShane Douglas、トミー・ドリーマーTommy DreamerらはECWのリングでテリーと肌を合わせることで“時代の子”に変身した。  テリーはECWムーブメントの“花咲爺さん”として新しい世代のレスラーたちにスーパースターのエッセンスを注入していった。  ECWは2001年1月に消滅したが、テリーはその後も引退-復帰-引退をくり返し、70代に手が届いた現在でも気が向くとアメリカのどこかのインディペンデント団体のリングに上がっている。  トシをとればとるほど愛されるのが“生ける伝説”なのである。 ●PROFILE:テリー・ファンクTerry Funk 1944年6月30日、インディアナ生まれのテキサス州アマリロ育ち。NWA世界王座保持。兄ドリーとのザ・ファンクスではインター・タッグ王座、NWAフロリダ・タッグ王座などを獲得。全日本“世界最強タッグ”通算3回優勝。得意技はスピニング・トーホールドと50歳で使いはじめたムーンサルト・プレス。 ※文中敬称略 ※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦
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