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ジャック・ブリスコ NWA世界王座という幻想――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第33話>

ジャック・ブリスコ NWA世界王座という幻想<第33話>

連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第33話は「ジャック・ブリスコ NWA世界王座という幻想」の巻。(イラストレーション=梶山Kazzy義博)

 1970年代のアメリカのレスリング・シーンを代表するスーパースター。  アマチュア・レスリングNCAA選手権優勝(191ポンド級=1965年)の肩書をひっさげてプロレスに転向し、NWA世界ヘビー級チャンピオンとして活躍後、43歳で引退したエリート・レスラーだった。  引退試合はおこなわず、1984年12月に突然リングを下りてレスリング・ビジネスの表舞台から姿を消したた。  いわゆる大型ルーキーだったから、アマチュア時代からプロレスラーとしてのデビュー戦、そして引退までの足どりがきっちりと記録に残されている。  NCAA選手権ディビジョンⅠトーナメントのレコード・ブックには1964年大会(191ポンド級)2位、1965年大会(同級)1位として“ジャック・ブリスコ”の名が刻まれている。  オクラホマ州立大4年のときにローカル新聞のインタビューで「将来はプロレスラーになりたい」とコメントしたとたん、オクラホマの大プロモーター、リロイ・マクガークがスカウトにやって来た。  プロレスラーとしてのデビュー戦はテリー・ガービンTerry Garvinとのシングルマッチ(1965年6月5日=オクラホマ州オクラホマシティー)で、ブリスコはまだオクラホマ州立大在学中だった。  大学には4年間在籍したが、卒業単位を取得するまえに休学してそのままプロレスラーとしての道を歩みはじめた。  ブリスコは少年時代からプロレスファンで、ホームタウンのヒーローであるダニー・ホッジと写真でしかみたことがないルー・テーズにあこがれていたという。  メルボルン・オリンピック(1956年)で銀メダリストを獲得したホッジは、ブリスコがハイスクールでアマチュア・レスリングに熱中していたころ、地元オクラホマでプロレスラーとしてデビューした。  エリート・レスラーといっても、NWA世界ヘビー級王座にたどり着くまでに8年という時間を要した。“元NCAAチャンピオン”の輝かしいプロフィルがプロの世界ではかえってハンディキャップになった。  ブリスコ自身がこのパラドックスに気づいたのはデビューからちょうど1年後、1966年にテキサス州アマリロをサーキットしたときだった。
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後の“宿命のライバル”ドリー・ジュニアとの出会い
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