ザ・グレート・カブキ アメリカ人が考案した“東洋の神秘”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第59話>
やがてザ・グレート・ムタ、TAJIRIらに受け継がれていく毒霧ミストは、カブキに変身して半年くらいたったある日、シャワーを浴びているときに思いついたものだという。
いろいろな色を試した結果、赤とグリーンの2色がリングの上のカクテル照明と相性がよかった。
液体状の染料を入れたコンドームを口のなかに隠しておいて、それを奥歯で噛み切って毒霧を噴射するというのが手品のタネだった。
カブキに変身していちばんなにが変わったかといえば、それはキャラクターやビジュアル面でまったくの別人に変身したことだけではなくて、いつでもどこでもメインイベンターのポジションで試合ができるというビジネスとしての現実だった。
ダラスでヒット商品になるとアトランタ、ノースカロライナといったNWA加盟団体のビッグショーにもゲストとして呼ばれるようになった。
もともとの所属先だった全日本プロレスも、カブキをカブキのまま日本にリングに逆上陸させた。
3年ぶりのホームリングではリック・フレアーとのNWA世界ヘビー級選手権が実現した(1983年=昭和58年12月12日、東京・蔵前国技館)。
ジャンボ鶴田とのコンビで世界タッグ王者にもなったこともあった(1990年=平成2年7月19日、福井)。
全日本プロレス退団後はSWS、WAR、平成維震軍(新日本プロレス)、IWAジャパンに所属。
通算53年というひじょうに長いキャリアの最初の17年間を高千穂明久として、33歳から69歳までの36年間をグレート・カブキとして過ごした。
トレードマークの“音の出るアッパーカット”は、カブキのレパートリーではなくて、じつは高千穂明久のオリジナル技だった。
●PROFILE:グレート・カブキThe Great Kabuki
1948年9月8日、宮崎県出身。本名・米良明久。中学卒業と同時に日本プロレスに入門し、1964年、高千穂明久のリングネームで16歳でデビュー。1981年、ダラスでカブキに変身し、アメリカン王座、ワールドクラスTV王座を獲得。全日本プロレス、SWS(メガネスーパー・スーパーワールドスポーツ)、WAR、平成維震軍、IWAジャパンの各団体に所属。1998年7月にいったん引退するが、その後、復帰。新日本プロレス。全日本プロレス、天龍プロジェクト、プロレスリング・ノア、インディー各団体のリングに上がった。2017年12月22日、正式に引退を表明。
※文中敬称略
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文/斎藤文彦
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