ファビュラス・フリーバーズ “自由な鳥たち”というロード・ムービー――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第58話>
ファビュラス・フリーバースは、記録よりも記憶に残る伝説のタッグチームである。
マイケル・ヘイズが18歳、テリー・ゴーディが16歳のときに結成したコンビで、あとからベテランのバディ・ロバーツが加入した。
チーム名のフリーバーズは伝説のロックバンド、レナード・スキナードLynard Skynardの名曲“フリーバード”からもらった。
ゴーディは年齢をごまかして14歳でプロレスラーになった。“鉄人”ルー・テーズからほんのちょっとだけレスリングを教わったが、ほとんどトレーニングらしいトレーニングは受けずにリングに上がるようになった。
中学3年生のときはすでに身長6フィート3インチ(約191センチ)、体重260ポンド(約118キロ)の“怪童”だった。
テネシーとジョージアの州境のジョージア州ロスビルのローカル・テレビ局WRIPスタジオでいきなりTVマッチに出場し、そのままケンタッキー、ミミシッピー、テネシーのインディー団体を放浪した。
まだ15歳だったゴーディと17歳のヘイズが出逢ったのはテネシー州メンフィスで、ふたりは旅のパートナーになり、それから1年後にタッグチームになった(1977年)。
ヘイズも14歳のときにフロリダ州ペンサコーラでリング屋のアルバイトをはじめ、16歳でプロレスラーになった。
ファビュラス・フリーバーズというゴージャスなチーム名を思いついたのはヘイズだった。
ヘイズがプロモーターのニック・グーラスNick Gulasに「入場のときにスキナードの“フリーバード”をかけていいか」「アリーナのなかを真っ暗にして、楽屋から出てくるオレたちにピンスポット照明をあてるってのどうだ」とアイディアをぶつけた。グーラスの返事は「お前ら、ドラッグで頭がイカれたか?」だった。
ヘイズはこの企画をメンフィスのもうひとりのプロモーター、ジェリー・ジャレットJerry Jarrettのところに持っていった。
ジャレットは共同プロデューサーのジェリー・ローラーと相談して「おもしろそうだからやってみろ」と答えた。
サザン・ロックの音とプロレスのライブの雰囲気は驚くくらいマッチした。音は大きければ大きいほどよかった。
※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス読本」と書いたうえで、お送りください。
※日刊SPA!に掲載されている「フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー」が『フミ・サイト―のアメリカン・プロレス講座』単行本になり、電波社より発売中です
※日刊SPA!に掲載されている「フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー」が『フミ・サイト―のアメリカン・プロレス講座』単行本になり、電波社より発売中です
『フミ・サイトーのアメリカン・プロレス講座 決定版WWEヒストリー 1963-2001』 WWEはいかにして世界を征服したのか?幾多の危機を乗り越え、超巨大団体へと成長を遂げたその歴史を克明に描く「WWEの教科書」 |
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ