更新日:2022年12月17日 23:00
ニュース

39歳・女ユーチューバーの承認欲求が暴走した…YouTube乱射事件

ネットだけで肥大した承認欲求の暴走

 だが、その思いの強さとは裏腹に、実社会とのつながりが極めて脆弱だった。世間を感じるのも、ほとんどはYouTubeやSNSなどの限られたツールを通してだった。それなのに、彼女はとらえどころのない茫漠とした巨大な世界やシステムを見てしまっていた。インターネットにはそれが見えるような錯覚を与え、増幅させる効果があるのだ。  この危ういアンバランスこそが問題だと指摘するのはピッツバーグ大学メディア・テクノロジー・ヘルスリサーチセンターのブライアン・プリマック所長だ。  ガーディアンの取材に対して、インターネットを使えば社会と関わっていられると思い込むことは、リンゴのかわりにリンゴ風味のシリアルを食べるのに似ていると語ったプリマック所長。「確かに甘いしカロリーも十分だが、必要な栄養素までは与えてくれない」からだ。  だとすれば、アグダムにとってYouTubeの規約改定は突然お菓子を禁じられたようなものだったのかもしれない。
容疑者のYoutubeチャンネルやSNS

容疑者はこんなにたくさんのYoutubeチャンネルやSNSをやっていた

 ゆえに彼女の犯行は“甘くカロリー十分”なジャンクフードで肥えた承認欲求の暴走と見るのが妥当なのだろう。デジタルエイジ特有の事件でもないし、むしろ古風とさえ言える。インターネットによって、それがムダに繁殖して拡散し、見えやすくなっただけの話だ。

欲求不満が“世界の問題”にすり替わってしまうとき

 エルトン・ジョンの「I Think I’m Gonna Kill Myself」という曲がある。人類の一部であることに飽きた十代の若者が自殺でもして新聞の一面に載ってやろうかと大口を叩く、という歌詞だ。しかし、作詞をしたバーニー・トーピンは途中でこうした発想の幼さを言い当てる。 <もしブリジット・バルドーと毎晩ヤラせてくれたら 考え直してもいいけどね>(筆者訳)  この取るに足らない欲求不満が、いつの間にか人類や世界の問題にすり替わってしまい、他者を道連れにしようと考えること。これが子供のズルさ、甘さだと言っているのだ。  ニューヨーク・タイムズによると、犯行直前にアグダムは花に囲まれて微笑む幼少時の写真をSNSに投稿していたという。動機が金銭でも社会正義の達成でもなかったことは明白だろう。<TEXT/石黒隆之>
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
1
2
おすすめ記事