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いまだに全壊した家があちこちに放置され…能登半島地震から1年、被災地でみた過酷すぎる冬

 能登半島地震から1年が経過した。厳しい地理条件や人口減少などにより、一部では「復興ができない」と言われる被災地であるが、実際にはどのような状況なのか。震災から2年目の冬を迎える現地を直撃した。

地域住民も翻弄される、厳しい天候と交通事情

[酷寒の能登]住宅復興の舞台裏

取材陣が被災地に向かう際も、毎日のように通行止めに遭遇。カーナビに従って進むと崩落した道に導かれることも

「石川県民でも、なかなか被災地には辿り着けない。復興は難しいと思うね」  金沢市の住民はこのように話した。’24年1月1日に発生した能登半島地震では、能登7市町(七尾市、輪島市、珠洲市、羽咋市、志賀町、穴水町、能登町)が大きな被害を受け、最大24地区が孤立状態に陥った。  さらに、9月に起きた豪雨が追い打ちをかけた。県内全域で崖崩れなどが相次ぎ、ライフラインや交通インフラの復旧を妨げているのだ。  取材陣はまず、石川県内で家屋被害が最多となった輪島市を目指した。この日の最低気温はマイナス1℃。海から強風が吹きつけ、防寒着を着ても底冷えが厳しい。  市内には倒壊した家屋群が残り、海沿いの道は隆起して大きく段差ができているなど震災の爪痕が窺えた。

一次産業や観光産業の復活の鍵を握る“朝市”