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パリピのルーツは早稲田・慶應の学生!? 昭和・平成のパーティ文化を振り返る

パーティ文化の変遷

<’83~’91年> ・早稲田や慶應など遊び人大学生がディスコパーティを開始 東京のパーティ文化の始まり。リーグと呼ばれるイベント企画団体が誕生 ・「マハラジャ」「エリア」など宮殿系ディスコが出現、全盛期へ サラリーマン、OL、女子大生がバブルを謳歌。学生パーティは次第に営利化 ・私立付属高生が学校単位でチームを組んでパーティブーム起こる チーム名が入った揃いのスタジャンを着用。これがのちの渋カジ・チーマー文化に <’91~’94年> ・バブル終焉、湾岸のメガパーティに熱い視線 芝浦に「ジュリアナ東京」がオープン。ボディコンが完全コスプレ化した <’94~’99年> ・渋谷で”コギャル”カルチャー繚乱 女子高生が若者文化の主役に。独自のクチコミで放課後をパーティ化 <’99~’00年> ・渋谷がビットバレー化 ネット文化の発達により、IT起業家が台頭。ネット=オタクという印象が払拭され、ビジネスパーティに注目が集まるように <’01~’04年> ・ベンチャー起業家のラグジュアリーパーティーがブーム スイートルーム貸し切りパーティやプールサイドパーティなど豪華なパーティが行われる <’05~’09年> ・オタク文化のポップ化と女子会多発 コミケやコスプレを楽しむ人が増加。「〇〇女子」「〇〇ガール」など女子文化が細分化。男性を排除した「女子会」が人気に <’10~’18年> ・SNSが発達し、現在のパリピ文化が出現 インスタ映えなど「見せる」に特化したパーティが続出 【中野充浩】文筆家/編集者 ’89年、学生時代より文筆家として活動。ウェブマガジン「TOKYOWISE」で東京カルチャーの歴史を追う「Tokyo Pop Culture Graffiti」を連載中 ― パリピってなんだ? ―
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