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福岡の大人気番組『ゴリパラ見聞録』で奇跡の復活を遂げた土俵際芸人たち

ゴリけん/芸人☓パラシュート部隊/芸人

左からパラシュート部隊・斉藤、ゴリけん、パラシュート部隊・ぺぺ

 博多華丸・大吉に次ぐ快挙――地元紙を飾った見出しに福岡県民が沸いた。創始770余年。博多を代表する祭り・博多祇園山笠。その“飾り山”はその時の流行が端的に反映されるのが通例で芸人では華丸・大吉が唯一だった。が、ついにその先例が破られることになったからだ。

 そんな、福岡を代表するスターに押し上げられたのは、お笑い芸人のゴリけんとパラシュート部隊(斉藤優、矢野ペペ)の3人。彼らの名を冠した旅バラエティ番組『ゴリパラ見聞録』(以下、ゴリパラ)は、福岡のみで放送していた頃からジワジワと噂が広がり、現在全国17局で放送中。7枚リリースした番組DVDは累計10万枚を突破し、2500人規模のイベントチケットも即完売。かつて“ローカル局の奇跡”と評された『水曜どうでしょう』(HTB)の再来と言われるまでになった。もともとは東京で活動する芸人だった3人が出世レースに敗れ、端から見れば“島流し”同然で福岡に来たのは12年前。マネジャーもいないゼロからのスタートだった。

島流し先で天下を獲った男たち


――ゴリけんさんは’97年、パラシュート部隊のお二人は’99年にデビュー。’06年に所属事務所から福岡行きを宣告されるまで、東京で活動していたそうですね。

ゴリ:東京ではとにかくスベりまくってました。ライブ終了後のアンケートで「一番つまらなかった芸人」という質問の回答に、その日、ライブに出演してない僕の名前が書かれるぐらい。ずっとそんな調子でした。

斉藤:僕らは運良くデビュー2年目で『内村プロデュース』に出演できましたが、先輩たちがモンスターすぎて、まったく前に出られませんでした。

ぺぺ:負け続けたね。収録現場が戦場すぎて吐いたこともありました。

斉藤:吐いてた(笑)。それでも周りにはダメな仲間もいっぱいいたので、傷を舐め合って、今思えば、完全に負のループでした。

ゴリ:そんななか、事務所に勧められて福岡へ。そして、新天地での生活は甘くはなかったですね。

斉藤:当時、僕には1歳の子供がいて、文字どおり土俵際。福岡でダメなら腹をくくるつもりでした。

ゴリ:3人で集まるたび、「1年目のつもりでやろう」って励まし合ってました。当時、仕事は自分たちでつくるしかなく、母校である福大剣道部のOB会にテレビ局の人がいるらしい――そんな不確かな情報をもとに、冬の早朝、3人で道場に行ったことも。結果、そのOBは制作ではなく、事務方の人で……。

斉藤:「ゴリさん、こんなことやってて、意味あるんですか?」って聞いたら「わからん」と。心の中で「大丈夫ですか? 僕たち」って呟き続けていました。

ゴリ:福岡が韓国から近いという理由だけで韓国語を勉強してた時期もありましたね。暇だったし、チャンスの糸口をとにかく見つけたくて。

ぺぺ:当時、ゴリさんとルームシェアしてて、隣の部屋から「カムサハムニダ」って野太い声が聞こえてきたときにはビックリしましたよ。

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