全共闘以後、50年間の社会運動史が初めてまとめられた
――全体の構成を見ると、まず「“68年”という前史」として全共闘運動の終焉に至るまでの新左翼運動史を早送りで振り返る「序章」があります。「第一章 “80年安保”とその裏面」では、80年前後の一見没政治的な“ニューアカ”ブームやサブカルチャーの隆盛を、実は全共闘運動の問題意識をストレートに継承するものとして再解釈をほどこしつつ、それと連動することなく引き続き一定の規模で存在していた同時期の“全共闘直系”の新左翼学生運動の状況が描かれます。「第二章 85年の断絶」は、やはり“ニューアカ”やサブカルチャーの動向とは切れたまま、しかしその“軽薄短小”なノリをそれらと共有してもいた、ピースボートをはじめとする80年代半ばの“新しい社会運動”の登場とその展開を整理しています。
そして今回の本の白眉とも云える「第三章 ドブネズミたちの反乱」です。89年の参院選における土井社会党の勝利をいわば“氷山の一角”とする、その背後に存在した一大ムーブメントを、とくにその“最左派”を形成した若者たちの諸運動を中心として、それら全体を“日本の89年革命”と位置づけ、その後2010年代半ばまでさまざまに展開し、時に社会的注目を集めたりもする諸運動の、知られざる源流としての意義を明らかにしています。「第四章 まったく新しい戦争」で、95年のオウム事件に至るまでのさまざまな試みが第三章の後日譚的に描かれた上で、「第五章 熱く交流レボリューション」で「だめ連」をはじめとする90年代後半の諸運動、「第六章 ロスジェネ論壇とその周辺」で「素人の乱」やフリーター労働運動をはじめとする00年代の諸運動、そして“日本の89年革命”を担った活動家たちの幾人かの近況を描く「終章 3・11以後のドブネズミたち」に至ります。
外山さんは「第三章」以降の“主要登場人物”の1人として登場し、その時々の、まずいわば外山さんの“活動家デビュー”にあたる80年代末の高校生活動家たちの全国ネットワーク形成運動、90年代前半に『週刊SPA!』の「中森文化新聞」に繰り返し取り上げられて実は都知事選のはるか以前に“プチ・ブレイク”していた頃の活動、00年代に入ってまもなく“獄中ファシズム転向”に踏み切るに至る経緯、そしてもちろん07年の都知事選出馬、3・11以降の“異端的反原発運動”の試みなど、いわば外山さん自身の活動史も時系列でおよそ把握しうるように書かれています。
外山:ついに自分史を世界史の中に位置づけた、と(笑)。もちろん、あまりにも“自分語り”が過ぎないように気を遣ったつもりではあります。おっしゃるとおり、まさに“群像劇”として描くことに主眼を置いたつもりです。
――「あとがき」では「まさに日本書紀みたいなもの」を書いたとまで豪語されています。
外山:これまで誰も書かなかったし、今後もおそらく今回の本に匹敵する“全共闘以後の運動史”は書かれないでしょうからね。モノを捨てられない性格が幸いして、私の手元には80年代末以来の、私と同世代以下のさまざまなグループや個人が出したビラやミニコミがある程度まとまった形で残ってますが、今になって改めてそういったものを収集しようにも、あちこちに散逸してしまっていて困難を極めるだろうと思われます。だからこの分野に関しては今回の本が“正史”の位置づけに、少なくとも今後かなり長いこと、なっていくはずです。
もちろん“正史”など存在しえないのが“ポストモダン”という時代なのだということは分かっています。しかし自ら積極的に“偽史”を書くつもりで歴史を書く人間などいませんし、もしいてもそんなココロザシの低いものに何の価値もありません。私も今回の本を“これこそが正史だ”というつもりで書きましたし、主観的には“これこそが正史だ”と各々が信ずるところを各々に書き、それらが互いに相対化し合って、結果としてどれも自らが“正史”たることを独善的には主張しえなくなるというだけの話です。しかし、この分野に関してはそのようなことはなかなか起きないだろうことは、私にとっても残念なことではあります。まあ、今回の本に書いてある個々の歴史的事実について、ここが違う、この解釈はおかしい、といった議論は出てくるでしょうし、私もせめてそれを期待しています。
――外山さんが“全共闘以後の運動史”を具体的にどう描いているかについては『全共闘以後』を実際に読んでいただくしかないとして、ご自身の“ファシズム転向”について少し語ってください。
外山:今回はあくまで“歴史の本”であって、“ファシスト”を称する私自身が現在どのような思想に立脚しているのか、つまり私の云う“ファシズム”とは具体的にどういう思想なのかについては、転向に至る経緯にざっと触れたのみで、詳しくは書いていません。したがって、新左翼運動とは実はファシズム陣営というものを再建するための無自覚な試行錯誤だったのではないか、という私の仮説についても、草稿段階にはあったんですが、煩雑になるので削ってしまいました。
私はもちろん全共闘世代ではなく、全共闘のピークが終わってから生まれてきたような“大遅刻青年”ですが、全共闘の意味や意義についてはほとんどの全共闘世代よりも深く理解しているつもりです。そんな私が「この人は全共闘世代のくせに私より全共闘を深く理解している」と震撼させられ、しかも“全共闘以後”のその時々の若者たちの運動にも律儀に関係し続けてきたこともあって、今回の本でも何度もその著作から引用させていただいている、絓(すが)秀実という人がいます。
絓氏の“68年”論では、70年7月7日に「全国全共闘」の集会で勃発した「華青闘告発」こそが全共闘運動の決定的なターニング・ポイントだとされており、私もその見解を支持しています。ちなみに、数少ない私の熱心な読者でさえ誤解している場合が多いんですが、私は絓氏に影響されて華青闘告発を重要視し始めたわけではなく、もともと90年代初頭から折に触れては「華青闘告発、華青闘告発」と連発していて、やがて絓氏が00年前後から一連の“68年”論を発表し始めた時に、華青闘告発へのこだわりを云う人が私以外にもいたことに驚いたぐらいなんです。ただ、やはりリアルタイム世代の絓氏のほうが、同じ対象にこだわった場合に当然にもその洞察は深く、私は単にいわゆる“ポリコレ”(ポリティカル・コレクトネス)、偏狭かつ不自由な反差別路線に新左翼運動が硬直していった決定的な起点を華青闘告発に見ていただけなのに対して、絓氏は、実はそれが同時に既成の新左翼諸党派に対する全共闘的ノンセクト・ラジカルの最終的な勝利をも意味していたことを指摘して、私もこれには蒙を啓かれる思いがしたわけです。
その絓氏が、一連の“68年”論を代表する1つである03年の『革命的な、あまりに革命的な』が今年の夏に文庫化されるに際して付した補論に、「反独裁の独裁」の必要性について書いています。そもそも06年の『1968年』でも“党”の必要性について非常に韜晦しつつ、遠回しに書いてもいたんですが、つまり“諸党派に対するノンセクトの優位そして勝利”を喧伝していた絓氏が、ここに来て“党”をまるで希求しているかのようなのです。そしてまさにこれこそ、私の云う“ファシズム”の問題意識と完全に重なるものなんですよ。
華青闘告発つまり諸党派に対する全面否定は新左翼運動が必然的に到達する以外にない1つのリミットには違いないわけですが、しかし無党派、ノンセクトでは国家権力に勝てないばかりか、諸党派にすら勝てません。華青闘告発以後、思想的には諸党派に対するノンセクトの優位は覆しようのないものとなり、いわゆるポストモダン思想もそのことを理論化したものにすぎませんが、しかし現実政治のレベルにおいては、今回の本でも繰り返し書いたように、例えば個々の大学において、数十人・数百人の個々バラバラなノンセクト勢力は数人・十数人の“鉄の団結”をした党派に対抗しえず、それぞれの大学を恐怖支配する諸党派が許容する範囲内で、何かしくじって諸党派の逆鱗に触れることのないよう戦々恐々としながら、自らの“差別者としての原罪”を飽くことなく自ら切開し続ける“ポリコレ修行僧”路線を縮小再生産していくことになりました。もちろん今回の本では、その限界を超えることを目指した80年代以来の“ドブネズミたち”の諸運動に焦点を当てているわけですが、そうした“ノンセクト新左翼運動史”をこの20年来ずっと研究しつつ自らの進むべき道を模索してきた私の結論も、やはり“党”が必要だということなんです。
もちろん華青闘告発を“なかったこと”にはできません。諸党派が否定されたことには必然性があったんです。しかしそこで否定されたのはマルクス・レーニン主義のいわゆる“前衛党”であって、“前衛党ならぬ党”、絓氏の云う「反独裁の独裁」を志向する“党”はいかにして存在しうるのか、ということだけが全共闘以降、追求するに値する唯一のテーマなんだと私は見定めるようになりました。絓氏の一連の著作を読む以前のことですから、そこまで明確に自分の問題意識を言語化できていたわけではないんですが、多少は後づけで整理すればおおよそそういう直観から、私は、いわばもともと“党”を嫌悪していたアナキストが“アナキスト党”を形成することに開き直ったような経緯が歴然とある、ムソリーニのイタリア・ファシスト党の路線に私が進むべき方向性を見出したというわけです。
そういった“アナキスト党”的な試みは実は全共闘以来いくつかあって、今回の本では触れていませんが、全共闘のリアルタイム世代では近々復刊されるという『歴史からの黙示』というアナキズム理論書を73年に書いた千坂恭二氏が参加していた「アナキスト革命連合」という“党派”がまずそうですし、今回の本でも言及している中では、“日本の89年革命”を担った“ドブネズミ系諸運動”の1つとして紹介している法政大の“中川文人一派”がそのようなものだったと私は見ています。
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