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全共闘以後、50年間の社会運動史が初めてまとめられた

――“ファシズム”を掲げることが、ご自身の運動展開にとってマイナスに作用する可能性については、考えませんでしたか? 外山:ついに突破口を見つけたという確信がありましたから、迷いは一切ありませんでした。今でも迷いはありません。ただ、“全共闘以後”の新左翼ノンセクトの自然成長的というか自然衰退的な方向性に絶望している人は私以外にも大勢いるはずだとも思っていましたから、冷戦構造の中で絶対悪とされ、いわば盲点になっていた“ファシズム”という画期的展望、アナキズムの一変種としてファシズムを再解釈し、選択するという方向を提示さえすれば、あっというまに巨大なムーブメントと化すに違いないという目算は、今のところ外れてしまってますけど……。 ――07年に都知事選に出馬したのも、実はファシズム運動の同志を発掘するためだった、というお話も『全共闘以後』の中で書かれていました。 外山:冒頭のナレーションが視聴者をミスリードしてしまったようで、あの政見放送でしか私を知らない人は、今でも私を“極左活動家”であると思い込んでますからね。私のファシズム転向は03年のことで、つまり都知事選に出た時点で私はとっくにファシストでした。 ――今回の本によれば、ご自身はあの都知事選をあまり“成功”だとは考えておられないようですね。 外山:知名度がちょっと上がっただけです。大きな選挙に出れば確実に突出して目立つだろうことには自信がありましたから、「外山恒一」で検索して私のサイトにたどり着き、私のファシズム論が広く読まれ、大いに議論されることになるだろうと期待していたのに、どうも人民は、ネットには“検索”という機能があることをよく知らないらしい(笑)。しかし、いずれにせよ“一種のアナキズム運動としてのファシズム運動”に火がつくのは時間の問題ではあると思っています。だって他に現実的な革命の展望なんか存在しないんですから。10年以上かかってしまいましたし、私のファシズム論について書かせてくれる版元はまだ現れませんが、私にとってそれなりに重要なテーマの1つではある“全共闘以後の運動史”について、やっと中堅以上の版元であるイースト・プレスからまとまったものを上梓することができたのも、あの都知事選でいくぶん知名度が上がった結果でもあるでしょう。  また、単に政見放送を“面白動画”的に消費するのではなく、“検索”というネットの便利な機能の存在に気づいて、私のサイトやツイッター・アカウントにたどり着き、私の思想や行動に真剣な関心を持ってコンタクトをとってくる若者たちも、ここ数年ようやく増加傾向にあります。4年ほど前から年に2回、全国から現役学生を集めて1週間なり10日間なり“新左翼運動史”の詳細を“詰め込みキョーイク”する「教養強化合宿」というのを主催しているんですが、すでに80名以上がそのOB・OGとして全国各地に散り、さまざまな運動に関わったり、自ら立ち上げたりしてもいます。べつに“ファシズム活動家”を育成する合宿ではありませんし、実際ほとんど私自身の思想的立場については語らずにひたすら“歴史の勉強”をしてもらうだけの合宿で、OB・OGたちの中にファシズム運動に邁進している者はおそらく1人もおらず、具体的な活動に参加している場合も要は既成の右翼・左翼の枠内でそうしているにすぎないようですが、運動史の知識をかなりのレベルで共有し、しかも合宿で知り合って互いに連絡をとり続けてもいる若者たちが左右の運動現場のそこかしこにいるという状況は、私から見れば“左右の諸運動の弁証法的統合”としてのファシズム運動のいわば温床なので(笑)、とりあえず放置してその展開を見守っているところです。 ――ちょうど自民党の総裁選が案の定の結果となり、安倍政権はもうしばらく続きそうですが、ファシストの外山さんからは現在の政治状況はどのように見えていますか? 外山:わざわざ云うまでもないとは思いますが、何の興味もありません(笑)。つい最近、今回の本では触れる価値のないものと見なしてほとんど触れてもいないシールズなどの“3・11以後の運動”に熱狂しているリベラル系の政治学者から、「ちゃんと政治運動の現場に関われ」的にツイッターで絡まれたんですが、私は革命運動に挺身しているのであって、国会がどうこう、選挙がどうこうなんて話は革命とはほとんど関係のないことです。“3・11以降”の一連の運動にしても、量的にはそれ以上に“高揚”していた80年代初頭の反核運動が現在ではまったく顧みられることがないように、10年も経てば歴史の屑カゴに放り込まれていることでしょう。  国会がどうこう、選挙がどうこうなんて話を通してしか社会や政治に関わることができないという回路それ自体を断ち切るような運動だけが、歴史を動かすんです。『全共闘以後』では、そういう試行錯誤の歴史について書き、国会がどうこう、選挙がどうこうなんて話に夢中になってしまう特殊な“趣味人”たちについては“一応、触れておく”程度で済ませました。  まあ、私の“個人的趣味”で云えば、私は安倍政権を支持していますよ。私が最近、一番腹を立てているのは嫌煙運動の拡大とか、“MeToo”に象徴されるような風紀委員的ポリコレの風潮の蔓延とかです。いずれも華青闘告発以来の新左翼ノンセクトの問題意識が微温化したものですが、そうしたものこそが現在の管理社会化・監視社会化の傾向を牽引しています。彼らの主張は“理屈としては正しい”ので、“真理”や“正義”それ自体を悪の根源と見なして嫌煙運動やポリコレ運動を問答無用で粉砕する、“ポスト新左翼”的に野蛮なファシズム革命政権が樹立されないかぎり、管理社会化・監視社会化は今後もどんどん進んでいくでしょう。しかし“単に野蛮”な安倍政権は、“単に野蛮”であるがゆえにこそ、そうした“正しい管理社会化”にとりあえずブレーキをかけてくれています。そりゃあ立憲民主党とかのほうが“正しい”ことを云ってますし、マルクス主義者たちの云う“歴史的必然”というやつで、安倍政権的なものは遅かれ早かれ打倒されてしまうには違いありませんが、せいぜい頑張ってほしい。  “正義”の自動運動たる“歴史的必然”を躊躇なく足蹴にしてやろうという、“意志の勝利”に賭ける我々ファシストが革命政権を樹立するまでは、安倍自民党にすべて任せておきたいぐらいです。いっそ安倍サンがもう総理大臣を一生やってろ、と。
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