全共闘以後、50年間の社会運動史が初めてまとめられた
2007年の東京都知事選での過激な政見放送で知られる外山恒一氏(48)が著作を刊行した。『全共闘以後』と題された624ページの大著。帯文には《1968年の全共闘から50年。1972年の連合赤軍事件を境に学生運動は急速に退潮し、その後は「シラケでバブルでオタクでサブカル」の時代――。そんな歴史認識は間違っている!」、「いま初めて描かれる若者たちの社会運動50年“通史”》などとある。つまりタイトルどおり、1968年をピークとする全共闘運動の終焉以後、この現在までの50年間の若者たちのさまざまな運動の変遷、知られざる歴史を描いた本である。
発売されて間もないながら(9月16日発売)、すでにネット上には「新幹線で読みはじめて4分の1くらい読んだけど、ヤバイくらいにおもしろい」、「引き込まれるように読んでしまう革命の血脈」、「何となく常識と思っていたことが次々と間違いだったと、更新されていく。絶え間なく知らなかったことが入ってきて超刺激的!」、「全く知らなかった社会運動史のあまりの豊かさ、そして過激さに驚きっぱなしで読み終えた」、「サントリー学芸賞やれば良いのに」などと絶賛の声が溢れる。
本人に話を聞いてみた。
――新著、まずは好評のようです。
外山:当然でしょう。なにしろ類書がまったく存在しないんですから。この50年間にも、その時々の若者たちによるラジカル(過激、根源的)な社会運動の試行錯誤は絶え間なく続いていて、しかも例えば80年代の反管理教育運動や反原発運動、90年代の「だめ連」、00年代の「素人の乱」やフリーター労働運動など、たまに盛り上がって世間から注目を浴びることさえ何度もあったのに、そうした注目は一過性のもので、“点”としてしか記憶されておらず、それらを“線”としてつなげる試みが、これまで1つも存在しなかったことのほうがむしろ不思議です。誰もやらないから私がやったんです。
――扱っている領域も幅広いですね。左翼の若者たちの運動の変遷を軸としながら、右翼のそれも扱われているし、さらには狭い意味での政治的な運動だけでなく、それらと共振するようにして存在した、演劇や音楽などのサブカルチャーや、思想・哲学シーンの動向についても目配りされています。
外山:そこらへんは、もともと“異端的極左活動家”として90年代を過ごし、00年代以降はファシズムの立場に移行したという、私の特殊な経歴が大いに関係していると思います。全共闘以来の“伝統”を受け継ぐ左翼過激派のいわば“保守本流”の動向も視野に入るし、そこから逸脱する動きにも常に注目してきたわけで、既成の左右図式の中に収まっているようなタイプの書き手が仮に今回の私のそれと同じテーマに取り組んだとしても、このようには書けないでしょう。
――外山さん自身が『全共闘以後』という群像劇における“主要登場人物”の1人でもあります。
外山:巻末に人名索引を付したんですが、それを見れば「外山恒一」が一番、登場回数が多かったりしますからね(笑)。そんなつもりではなかったんですが、じっさい私は“歴戦の活動家”なんですから致し方ありません。
――世間的には、外山さんは今なお“ヘンな政見放送の人”というイメージで通っていると思われます。むしろそのイメージしか持っていない人が大多数でしょう。
外山:本を出すたびに「文章も書くんですね」と驚かれますよ。私はもともと“文筆の人”であって、あの政見放送なんか私にとっては“余芸”でしかないのに……。
――早くも89年に『ぼくの高校退学宣言』(徳間書店)という本で文筆家デビューされてるんですね。当時まだ18歳とかでしょう?
外山:中退してなければギリギリ高校生だった時期です。以来、都知事選に出た07年までに8冊の著作がありました。まあ、どれも売れなかったんですけど、同世代の東浩紀クンなんかより実は圧倒的に早くから“論客”として世間に登場してたわけです。
――それだけの“蓄積”ゆえのことかもしれませんが、ネット上でも今回の本について、内容もさることながら外山さんの文章力を絶賛する声が散見されます。今回の本についてではありませんが、3年ほど前に外山さんが自身のサイトで発表された、ある文章について、「外山さんの文章力はおかしいですよ。一文が長くて逆接が多い文章、そして内容は活動家同士のどろどろとした争い。この世でもっとも読みたくない部類の文章のはずなのに、なぜか読ませるし内容がクリアに浮かび上がってくる」という感想ツイートも見つけました。
外山:『全共闘以後』ではそれを、その文章でおこなったような特定の個人についてではなく、この50年間の運動シーン全体を対象に徹底的にやってるということになるんでしょうね。
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