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ウサイン・ボルトがプロサッカー選手に!? 競技転向を果たしたプロアスリートたち

 100mや200mのスプリンターとして、オリンピックを始めとした数々の世界大会で金メダルを獲得し、陸上競技の歴史にその名を刻んだウサイン・ボルト(32)。昨年、陸上選手としては現役引退した彼に、ヨーロッパにあるマルタ共和国のトップサッカーチーム「バレッタFC」が選手のオファーをかけたことが今、注目を集めている。  もともと彼にとって、プロサッカー選手は長年の夢だったそう。現在はオーストラリアのサッカークラブ「セントラル・コースト・マリナーズ」に練習生として参加し、第2のアスリート人生の準備を行っているところだ。  ボルトが成そうとしているように、あるスポーツで活躍を遂げた後、別分野のスポーツに転向して活躍したアスリートは少なくない。今回はそんな、競技を転向して活躍したアスリートたちを紹介しよう。

ジャイアント馬場:プロ野球⇒プロレス

 競技転向したアスリートというと、国民的プロレスラーであったジャイアント馬場(享年61)が一番の有名どころだろう。もともと彼は野球少年で、小学4、5年生の時点で175㎝はあったという巨体を活かし、エースピッチャーとして活躍していた。  高校2年生のときに読売ジャイアンツのスカウトを受けた馬場は、そのまま高校を中退し、ジャイアンツに入団。しかし、当時のジャイアンツは長嶋茂雄(82)と王貞治(78)が活躍していた黄金期であり、なかなか二軍から抜け出せなかったそうだ。1960年1月、大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)への移籍が内定していた矢先に風呂場で転倒。ガラス戸に体ごと突っ込んだことで左手を損傷してしまい、馬場は野球選手生命を絶たれてしまった。  こうして野球選手としては終わってしまった馬場であったが、スポーツを続けたい一心で、近所のボクシングジムでトレーニングを継続。その後、以前から面識のあったプロレスラー力道山(享年39)を訪ね、日本プロレスへの入団を直訴したという。1960年4月にプロレスラーへと転向して以来、1999年に闘病生活の末に死去するまで、日本プロレスの発展に寄与し続けたのだった。

ジャンボ尾崎:プロ野球⇒ゴルフ

 日本ゴルフ界の第一人者であるジャンボ尾崎(71)も、プロ野球選手としてアスリート人生をスタートさせた人物だ。1965年、尾崎は西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)にピッチャーとして入団したのだが、後に新人王を獲得する同期のピッチャー池永正明(72)を見て、こいつには敵わないと外野手へと転向。しかしそこでも結果が残せなかったため、1967年にすっぱりと退団してしまった。その根底には、野球では池永に敵わないが、違う世界ででも彼を追い越したい、という気持ちがあったようだ。  当時のライオンズ打撃コーチだった花井悠(享年75)の勧めもあり、尾崎はプロゴルファーへの転向を決意。1970年、プロテストに合格し、プロゴルファーとしての人生をスタートさせてからは、1973年にマスターズ・トーナメントで東洋人初の8位入賞などさまざまな快挙を達成。2011年には、世界ゴルフ殿堂に選出されている。
尾崎

尾崎は現在もプロゴルファーとして活動しているが、今年8月にはゴルフを始めとしたプロジュニア育成を目的としたNPO法人を立ち上げた(NPO法人「JUMBOスポーツ・ソリューション」公式サイトより)

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