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ウサイン・ボルトがプロサッカー選手に!? 競技転向を果たしたプロアスリートたち

片山右京:レーシングドライバー⇒ロードレーサー

 1992年から1997年にかけてF1レーサーとして活躍し、1999年にはル・マン24時間耐久レース2位という結果を残しているレーシングドライバーの片山右京(55)。リタイアを恐れない攻撃的な走りから「カミカゼ・ウキョウ」と呼ばれた彼は、ロードレーサーとしてもその名を馳せている。  片山がロードバイクと出会ったのは42歳の頃のことだ。始めた直後に参加した2006年の「シマノもてぎロードレース2時間エンデューロ2人クラス」では初参加ながら4位。2008年には、世界中から9000人もの参加者が集まる「エタップ・デュ・ツール」で日本人最高となる284位という結果を残している。自動車と自転車、操るマシンは違えど、レーサーとしての能力や経験が生きているのだろう。  2012年にはプロの自転車ロードレースチーム「Team UKYO」を設立しており、自らも選手として活動しつつ、監督としてその手腕を奮っている。

木村昇吾:プロ野球⇒クリケット

 2003年よりプロ野球界に身を置くも、昨年、戦力外通告を受けた木村昇吾(38)は今、クリケットの選手として一花咲かせようとしている。  ちょうど戦力外通告を受けた後、知り合いの記者からクリケットを紹介されたことが、転向のきっかけだったと木村は語る。実は当時、木村には社会人野球チームから選手兼コーチの誘いも来ていたのだが、100%アスリートでいられる場を求め、クリケットの世界に飛び込んだそう。  日本においてクリケットはマイナー競技だが、実はイギリスとその連邦諸国で大人気のスポーツで、世界的な競技人口はサッカーに次いで第2位だという。現在、木村は世界最高峰のクリケットリーグ、「インディアン・プレミアリーグ」入りを目標としており、今月の17日、武者修行のためにとオーストラリアのメルボルンへと旅立っていった。
木村昇吾

プロ野球からクリケットへと転向した初のアスリートということで、注目が集まっている(木村昇吾の公式サイトより)

輪島大士:大相撲⇒プロレス

 今月の8日、咽頭がん、および肺がんによる衰弱でこの世を去った輪島大士(享年70)も、角界とプロレス界の両方で活躍したアスリートだった。  1970年、大学卒業前に花籠部屋へと入門した輪島は、初土俵から3年半で横綱への昇進を遂げ、相撲を取るために生まれてきた男とまで評された。その後1981年に相撲取りを引退してからは花籠部屋を継ぎ親方となるが、1985年に同部屋は廃業。  角界を去った輪島が全日本プロレスの門を叩いたのは、38歳のころだった。彼のプロレス人生は2年8か月と短く、また目立った実績も挙げていない。が、同じ大相撲出身の天龍源一郎(68)との数々のバトルはファンの間でも語り草となっており、前頭筆頭が最高位だった天龍が、元横綱の顔面を蹴り飛ばす構図は、後のプロレス界にも多大な影響を与えたという。  1988年にプロレスを引退してからはタレントとしてテレビ出演するようになり、ワジーの愛称でお茶の間でも親しまれていた。ご冥福をお祈りします。
天龍源一郎

プロレスラーの天龍は、輪島に生前世話になったからこそ、今はあえてコメントを控えている(画像は天龍源一郎公式ブログ『天龍源一郎の人生腹いっぱい』より)

 今回、マルタ共和国の「バレッタFC」からオファーをもらったボルトだが、今月17日、オファーを受けない意向を、代理人を通じて発表した。彼にとって納得できる契約内容ではなかったのだろう。ただ今回紹介したように、日本国内を見渡しても競技転向に成功したアスリートは少なくないため、ボルトがプロサッカー選手としてもNO.1になる日を期待して待ちたい。<文/A4studio>
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