スポーツ

大相撲暴力事件で「格闘技の指導に暴力は必要?」の疑問 プロが回答

暴力と根性論がゴッチャになっている

 実際の試合では、自分も相手も一種の極限状態に陥る。そのため、普段の練習では考えられないようなことがまま起こる。それは格闘技でもプロレスでも同じだと勝村氏は語る。想定外のことがリング上で起こったとき、最後にモノを言うのは普段の根性論的な練習量なのかもしれない。 「脳震とうを起こして、試合の途中から記憶がまったくないことがたまにあるんです。でも、あとから映像を見返すと、“あれ? 俺、こんなことやっていた?”って不思議な気分になるんですよね。言ってみればダウンして意識を失った状態のまま、それでもちゃんと試合を成立させているんですから。あと自分でも意味がわからないのは、殴り合っていると楽しくなって笑顔になっちゃうこと。マラソンでランナーズ・ハイってありますけど、ファイターズ・ハイというものも確実に存在しますよ」  最終12R、フラフラになりながらも最後の死力を振り絞って前に出続けるボクサー。入場前、「殺す、殺す……」と壁に向かってつぶやきながら集中力を高める総合格闘家。ファイターたちのメンタルは私たちが想像する以上に強靭で、なおかつ繊細だ。人智を超えたギリギリの部分で闘う選手の心を鍛えるのは、結局のところ、厳しい練習でしかない。 「最先端の科学的トレーニングを取り入れているアメリカのメガジムでも、厳しい追い込み練習は普通に行います。つまり根性論的なアプローチって、実は日本特有のものではないんですよ。繰り返しになりますが、とにかく一番の問題は暴力的指導と根性論的練習がゴチャ混ぜになっているということ。指導者ですら2つの定義がしっかりできていないわけだから、いつまで経っても暴力の問題がなくならないんです」  貴ノ岩のケースは練習の流れの中ではなく、練習時間外での指導だった。その面でも“必要な根性論”ではなかったことがよくわかる。その練習や行為は、果たして強くなるために本当に必要なのか? スポーツ界の暴力的で非合理的な体質に厳しい目が向けられている今だからこそ、関係者や選手には理性ある行動が求められる。<取材・文/小野田 衛> 勝村周一朗◎かつむら・しゅういちろう 1976年、神奈川県生まれ。総合格闘家として修斗、ZST、HERO’Sなどの舞台で活躍。10年には修斗世界フェザー級チャンピオンの座に輝く。13年のプロレス転向後はガンバレ☆プロレス、覆面MANIAなどのマットを主戦場に。名伯楽としても知られ、主宰するリバーサルジム横浜グランドスラムから多くの選手を輩出している。
出版社勤務を経て、フリーのライター/編集者に。エンタメ誌、週刊誌、女性誌、各種Web媒体などで執筆をおこなう。芸能を中心に、貧困や社会問題などの取材も得意としている。著書に『韓流エンタメ日本侵攻戦略』(扶桑社新書)、『アイドルに捧げた青春 アップアップガールズ(仮)の真実』(竹書房)。
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