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「妻子よりも鷹が大切」最後の鷹匠・松原英俊の常人には理解できない生き様

鷹狩だけでは暮らしていけない

鷹狩だけでは暮らしていけない 鷹使いとして生きる、といっても鷹狩だけで暮らしを立てることはできない。そもそも鷹狩ができるのは山が雪に覆われる冬の間だけだし、獲物の数も限られている。松原によれば、もっとも捕れた頃でもひと冬にウサギが30~40羽、この10年ぐらいは10~15羽ぐらいしか捕れないそうだ。そんな数ではもちろん自分や家族(驚くべきことに松原は40歳のときに結婚し、子供もいる)の食事をまかなうことはできないし、肉や毛皮を売ったとしてもたいした金額にはならない。つまり、鷹狩自体はまったく生活に結びつかない仕事なのだ。  では、松原はこれまでどのように生活をしてきたのか。  20代半ばから30代後半まで山小屋でたったひとり鷹とともに暮らしていたときは、夏の間、麓の集落で土木作業のアルバイトをしていた。アルバイト代は1カ月約8万円で、3カ月働いて約24万円。この24万円が当時の松原が1年で手にした現金収入のすべてである。収入が少ない分、日々の食事は自然が与えてくれるもので――山に入って山菜やきのこを採ったり、小屋のまわりを開墾して畑で野菜を育てたりして、まかなってきた。  40歳で結婚してからも(結婚、妻の妊娠・出産、子育てにまつわる話も当然、われわれのような凡人の常識からは逸脱したエピソードばかりなのだが、文字数の都合上、ここでは割愛する)定職にはつかず、自宅近くの民宿や自然体験施設の手伝い、猛禽類の生態調査、山歩きツアーのガイドなどのアルバイトで現金収入を得て、生活の足しにしてきた。実入りのいい仕事があった年には年間で200万円ほど稼ぐこともあったそうだが、たいていは家族3人が暮らしていくには松原の稼ぎだけでは足りず、妻の収入や貯金に頼ることが多かった。  人は普通、成人して自分の仕事や生き方を決めるとき、「何をしたいか?」という夢や希望とともに、「どうやって食っていこうか?」「どうやって家族を養おうか?」という現実的な問題とも向き合わなければならない。しかし、松原は違う。彼にとっての最優先事項は常に「鷹使いとして生きること」であり、自分が食うためや家族を養うために鷹使いであることを諦めようと考えたことはこれまで一切なかったというのだ。  彼はまた「妻子よりも鷹が大切なんです。妻子と別れられても、鷹とは別れられません」とも言う。この言葉を聞いたとき、私は「本気で言っているの!?」と唖然としてしまったが、妻の多津子は「この人は実際そうだと思います」とあっけらかんと答えてくれた。

鷹と一緒に雪山を駆け巡ることができれば十分

雪山 いったい鷹狩の何が、松原をそこまで魅了するのか。鷹狩に惹かれる理由について彼はこう語る。 「寝食をともにして時間をかけて訓練した鷹と、誰もいない雪山を歩く。獲物を探して、鷹とともに山奥に分け入っていく。そんなとき、心から『ああ、自分は幸せだな』って思うんです。今も昔も鷹狩はお金になっていませんが、自分としては獲物を求めて鷹と一緒に雪山を駆け巡ることができれば、それで十分なんです」  常人には、松原のこの“幸福感”も理解しがたいだろう。それでも松原のような人間が今のこの時代に生きているという事実に触れたとき、驚愕すると同時に心を激しく揺さぶられ、自分の人生や生き方について深く考えてしまうのは、きっと私だけではないはずだ。 <文/谷山宏典 写真/赤川修也>
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鷹と生きる 鷹使い・松原英俊の半生

松原英俊、68歳。妻子あり。ただひとつ人と違うのは、彼が「鷹使い」であるということ

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