IKKOと和泉元彌のモノマネでブレイク、チョコレートプラネットの「下積み時代」
ハイクオリティなモノマネ芸で、’18年のバラエティ番組を席巻したチョコレートプラネット。ボケの長田庄平は和泉元彌や氷室京介などに扮し、ツッコミの松尾駿はIKKO本人から太鼓判を押されるほどの憑依ぶりを披露。だが、優勝候補と目された『キング・オブ・コント2018』では、まさかの3位に終わるなど、誰もが実力を認めながら“あと一歩”が足りず泣かされてきたコンビでもある。結成14年目の’19年、チョコプラはすでに“売れっ子芸人”となったのか?
――昨年から本格的に人気に火が点き、年末年始は引っ張りだこでした。下積み時代の苦労を考えると感慨深いのではありませんか?
長田:ぶっちゃけ最初から僕らは優秀だったんで、下積みってほどでもないんですよ(笑)。同期の中でもかなり早めにテレビに出るようになって、3年目に『キング・オブ・コント2008』で決勝に行ってからは、芸人の収入だけで食えるようになってました。だからホンマ申し訳ないけど、「売れっ子芸人になるのって、結構簡単なんじゃないか?」って、当時は思ってましたね。
――意外とチョロいな、と。
長田:そうそう。しかも、「何がなんでも芸人になって、お笑いでガッツリ売れてやろうぜ!」なんて意識もなくこの世界に入ったので、なおさら「これ余裕やん」って。
――ということは、何を目指して業界入りしたんですか?
長田:「人生のエピソードづくり」です。僕は25歳まで地元の京都で苦労知らずで生きてきて、実家は特に金持ちでも貧乏でもなく、めちゃくちゃ頭が悪いわけでも賢くもないという、普通の人間なんです。でも、ふと自分の将来を考えたとき、「このままだと俺の人生、薄すぎる!」と気がついて。実家の町工場を継いで、結婚して、子供ができて、老後を迎えたとき、孫に話す人生のエピソードがなんもないやんって。そこで、何か冒険をしてみようと上京したんです。で、ノープランで東京に出てきたもんだから、「とりあえずお笑いでもやってみるか」と、そのくらいの感覚でNSCに入りました。
――そんな軽いノリの長田さんとNSCで出会った松尾さんは、どんな印象を持ちました?
松尾:第一印象は最悪です。長田さんは一番前の真ん中の席に座って、「授業盛り上げていこうや!」とかゴリゴリの関西弁で騒いでて。しかも、入学早々に取り巻きまで従えていた。「東京のNSCなのに、典型的な嫌な関西人がいるな」とムカつきましたね。ただ、一緒に授業を受けるうちに才能があるのはわかりましたし、同期のシソンヌから「長田と組んだら?」と言われたのが決め手になって、僕からコンビを組もうと声をかけたんです。
チョコプラはもう“売れた”のか!?
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