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IKKOと和泉元彌のモノマネでブレイク、チョコレートプラネットの「下積み時代」

「簡単やん」からの「もう芸人辞めよか」

――同期の中では出世競争の先頭を走っていたお二人ですが、最初の挫折を味わったのは、いつですか? 長田:「簡単やん」と思っていたら、そこでぴたっと止まって、まったく上がらなくなって(笑)。一応テレビにも出てるし、食えてはいるけど「売れきれない」っていうジレンマに非常に苦しみましたね。そうこうしているうちに、後輩の渡辺直美やジャングルポケットがぶわーっと売れて、同期のパンサー向井も売れて、どんどん抜かれ始めるんです。レギュラーでやってたコント番組(『パワー☆プリン』)が’13年に終わると、そこから仕事も激減して、30万~40万円あった給料が15万円くらいに下がりました。「この先、さらに下がって、いずれはゼロになるかもしれない」と思うと恐ろしくて、芸人としての引き際を考えましたね。 ――しかし、そんな状態から翌年の『キング・オブ・コント2014』では準優勝に輝きました。 長田:2人で話し合って、最後に本腰を入れてやってみようと、1年間ネタを作りまくったんです。最終決戦の相手が同期のシソンヌだったことも含めて、あの大会は僕の芸人人生の中で最高のシーンでしたね。芸人人生のクライマックスはどこかと孫に聞かれたら、後にも先にも「シソンヌとの一騎打ち」だと答えるでしょう。負けはしましたけど、悔しさより「シソンヌ、よかったな!」という気持ちのほうが強かったです。 松尾:でも、日がたつにつれ、悔しさがじわじわ湧いてくるんですよ。正直、準優勝でも露出は増えると思ったのに、やっぱり如実にシソンヌがテレビに呼ばれる。優勝と準優勝の間の大きな壁を痛感しました。 長田:僕らにとって賞レースはあくまで“売れるための手段”であって、そこをステップにバラエティ番組にガンガン出たいという気持ちを強く持っていました。でも、準優勝ではテレビに呼ばれなかった。つまり、『キング・オブ・コント』に出るからには、優勝が売れるための最低ライン。それを踏まえた上で、「じゃあ、売れるためには他にどんな手段がある?」と考えるようになりました。 ※1/22発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです 【チョコレートプラネット】 ボケの長田庄平とツッコミの松尾駿の2人により’06年に結成。東京NSC11期生。単独ライブツアー「HOUSE vol.1」が3月15・16日の大阪(イエスシアター)を皮切りに、岡山、名古屋、福岡、札幌、仙台、5月18・19日の東京(CBGK)まで全国7都市で開催決定 取材・文/沼澤典史 野中ツトム(清談社) 撮影/髙橋慶佑
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週刊SPA!1/29号(1/22発売)

表紙の人/ 泉 里香

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