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知らないと恥をかく、新1万円札「渋沢栄一」伝。33歳で転機が…

「栴檀は双葉より芳し」 幼少時から抜群の商才を発揮

渋沢栄一のこころざし

山岸達児著「渋沢栄一のこころざし」(画像はAmazonより)

 政府を離れた後に、三井組や小野組といった財閥をはじめ一般の投資家からも出資集めて第一国立銀行を設立した渋沢。当時、ほとんどの人が「銀行」という言葉も知らなった時代に、「家に置いてあるお金は、溝にたまっている水やぼたぼたと垂れるしずくと変わらない」と語り、へそくりは死に金と一緒だと大胆な説明をしていたという。  さらにもう一つ特筆したいのが、先述した製紙会社。「文通が進歩しなければ一般社会に知識は浸透しない」と考えた渋沢は、フランスで見た印刷用の西洋紙を参考に印刷産業の近代化に着手。印刷会社や製紙会社を設立し、社会に本や新聞といったメディアが流通する基礎を築いたのだ。その意味で、渋沢は「近代メディアの父」とも言えるかもしれない。  そのほかにも、東京証券取引所や東京瓦斯、東京海上火災保険、帝国ホテル、麒麟麦酒、田園都市(現:東京急行電鉄)など、渋沢が設立に関わり、現在も一流企業として日本経済を支える企業は枚挙に暇がない。  最後に、そんなスーパー実業家である渋沢栄一の幼少期のエピソードをひとつ紹介したい。渋沢の実家は農業のほかに藍の葉を染料に加工して売るという商いも手掛けており、幼少期から父親の手伝いとして藍の葉を仕入れる旅に出かけていた。だが、まだ子供であったため軽く見られことも多かったという。  そこで子供時代の渋沢は、ある戦術を取る。それは仕入れ先にまともに相手をされるまで、葉をひとつひとつ品定めし続け、姿かたちにとらわれない実力を知らしめるという方法だった。そしてついに13歳の時、最初はまったく相手にされなかった業者相手に一人で完璧な仕入れを行い、上質の葉を仕入れて家に持ち帰ることができたという。栴檀は双葉より芳し――渋沢のずば抜けたビジネスセンスは、幼少期から培われていたのかもしれない。〈取材・文/藤 文子〉 参考文献:山岸達児著「渋沢栄一のこころざし」(銀の鈴社)
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