知らないと恥をかく、新1万円札「渋沢栄一」伝。33歳で転機が…
2024年から福沢諭吉に代わって新一万円札の肖像となる渋沢栄一。正直、「何した人だっけ?」と首を傾げた人も多いのではないだろうか? 「日本経済の父」とも言われる偉人だが、詳しく知らない人も多いはず。職場の雑談で思わぬ恥をかかぬよう、彼の人物像について簡単に振り返っていきたい。
渋沢栄一は、日本最古の銀行である第一国立銀行(現・みずほ銀行)をはじめ、印刷、保険、鉄道、食品、宿泊業者、通信社、医療関係など、なんと500もの企業の設立に関わったスーパー実業家である。
元々農家の生まれで、一橋慶喜に仕えると、27歳の時に15代将軍となった徳川慶喜の実弟・徳川昭武に同行してパリの万国博覧会を見学する。この時、ヨーロッパの近代文明に触れ、後の経済人としての知識を身につけたといわれている。
例えば、フランスでは新聞に興味を持ち、印刷について学んだことが「東京日日新聞」の設立に参加するきっかけとなった。また、後述する製紙会社の設立にも、フランスでの経験が大きく影響したという。さらには、ヨーロッパで株式組織や銀行、ファンドによる事業経営を目の当たりにしたことが、日本で初となる株式会社「第一銀行」設立の手本となっている。
その後、明治政府でも制度改革の草案を作成する「改正掛(かいせいがかり)」という部局の初代局長として奮闘。度量衡、租税、貨幣制度など、さまざまな制度改革に関わるだけでなく、鉄道の敷設や諸官庁の建築など、取り上げた案件は200に及んだ。
このように幕臣からスーパー官僚へと転身を果たした渋沢だが、働き盛りの33歳の時、政府を辞することとなる。
当時は大蔵省の大蔵大丞(事務次官)として財政の確立、銀行条例の制定に尽力していたが、一役人だった渋沢の意見が用いられないことも多々あったという。そのことに嫌気が差し、辞表を提出するという形で政府を去ったのだ。そして35歳の時、第一国立銀行の総監役(後の頭取)として経済人のキャリアをスタートする。
500もの企業の設立に関わったスーパー実業家
33歳で官僚をやめて、ビジネス界に
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