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選挙の“名物おじさん”が初当選、マック赤坂って何者なの?

負け続きの選挙戦だが…徐々に高まるマック氏への期待

 2007年4月の東京都知事選を皮切りに、参院選、衆院選、大阪府知事選など多くの選挙に立候補しては落選を繰り返してきたマック氏。出馬のキッカケは氏の掲げる「スマイルセラピー」(表情を笑顔にすることで心も笑顔にするというメソッド)の宣伝のためだったという。  何度か出馬を繰り返すうちに、背広にネクタイでは誰も話を聞かない、世間に注目されないと思ったマック氏は、2012年の都知事選の際、スーパーマンの衣装で“都知事から国政に転身した、石原慎太郎氏に見捨てられた都民を救う”という設定で政見放送に出演。当選とはならなかったが、一気に注目を集める存在となった。  その後、試行錯誤を繰り返すが、なかなか当選には至らなかった。2013年には出馬をやめると“引退宣言”もしたが、翌年には引退を撤回し、再び都知事選に立候補、スマイルセラピーの普及活動は続いた。  2016年6月、「政治と金」の問題で辞任した舛添要一氏の次の都知事を決めるための選挙で、国会議員の高い給料などを正面から批判。この年はスマイルセラピーを封印した正統派な姿勢にも関わらず、5万票以上を獲得、過去最高の得票数となるなど、徐々に人気を集めていった。  さらにその翌年、2017年の都議選では、“定数が多い、現職が立候補しない、知事選で得票率が高かった”という理由で、縁もゆかりもない世田谷区から立候補。折込チラシを用意したり、個人演説会を開いたりなどして当選を狙うも、結果は18人中13位という残念なものに。  しかしこの結果、無所属からの出馬のなかでは一番の得票数だった。お得意のコスプレ姿での政見放送がない都議選にも関わらずこの得票数を確保できたのは、地道な活動ですでにある程度の知名度を獲得していたマック氏の努力ゆえのものではないだろうか。
マック赤坂

2017年の落選の際、次は出馬するのかと問われたマック氏は、「出ないとファンが許さない」と笑顔で話していた(画像はマック赤坂著書『何度踏みつけられても「最後に笑う人」になる88の絶対法則』表紙)

最後にして最初の当選、マック氏のマニュフェストとは

 そして2019年4月、最後の出馬と公言していたマック氏は、見事に東京港区議会選挙に初当選。来年に迫っている東京オリンピック・パラリンピックのために外国人が多く集まることが予想される港区から、コミュニケーション下手な日本人への指導を目標に掲げての出馬だった。  マック氏は、以前のインタビューで、コスプレで知名度を高めたために信頼感が薄いことも自覚していながらも、ネクタイに背広のまま活動していたら、無名のまま終わってしまっていたかも、と話していた。  そういった活動が長い歳月をかけ報われた形となった今回の当選。“狐につままれたよう”と未だに現実を受けとめ切れていないようだが、自身が信じて続けた努力が実ったと言えるだろう。 「税金の使われ方などをチェックする役割で区議会に派遣された」と話すマック氏は、今後の自身の役目を、間違った政治を壊す“爆弾のようなもの”と表現している。また、「子供老人に毎月3万円の手当て」「老人介護施設の数を現在の3倍にする」といった具体的な政策も掲げており、今後の活躍に期待がかかる。  ――選挙の名物おじさんとして広く知られてきたマック赤坂氏をひも解いていくと、意外な経歴と苦労、努力が垣間見えてきた。  今後、港区議会議員として活動していくマック氏が、港区民だけでなく、都民、国民のためにどのような動きをしていくのか、これまでの突拍子もない発言や行動は継続されていくのかも含めて、注目していきたい。<文/A4studio>
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