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西成出身、元『men’s egg』モデルの今。抱え続けた葛藤、海外を旅するヒッピーに!?

 モデルとしては順風満帆だったかもしれない。しかし、ついに“その日”はやってくる。関西企画が打ち切られ、それからしばらく経った2013年秋、雑誌が休刊する。 「そんな予感は以前からやっぱりあったというか……僕もずっとメンエグに出続けられるとは考えていなかったので、あまり“色”をつけすぎないほうがいいと内心思っていました。集合写真でもなるべく前に出過ぎないで目立たないようにしなきゃって」 原田勇介

「自分がマネキンに思えた」人間らしさを求めて海外へ…

 念願のモデルという職業だったが、仕事をこなすなかで実は葛藤も多かった。 「次から次へと運ばれてくる衣装。それを着こなすためには、自分を押し殺さなければいけなかった。本来は金髪のロン毛だったのですが、世の中でギャル男の時代も終わって。衣装のイメージに合わせて黒髪のウィッグをつけさせられて、黒肌をファンデーションで隠して。爽やかな好青年っぽく装うこともありました。もちろん、それがプロの仕事だと思うのですが……実際、皮肉にも洋服の売り上げはすごい伸びたんですよ。でも、だんだん自分の存在がまるでマネキンみたいに思えて。本当の自分って何だろうって」  原田氏は大阪では知られたモデルだったが、常に人目を気にしなければいけないことにも疲れ果てた。そして、海外に“自分探し”の旅に出たのだ。 「日本にいるときは、褒められることが当たり前で、それが逆にしんどかった。自分でもモデルとして調子に乗っている部分があるなって、自己嫌悪に陥っていました。だから、僕のことを誰も知らないところに行きたいなって」  バックパッカーとして旅を始めた当初、カンボジアを訪れた際の出来事だ。 「道は舗装されておらず、土ぼこりが舞っていた。まず、日本ではありえないような光景に驚きました」
 近年、首都プノンペンや世界遺産アンコールワットを擁するシェムリアップは目覚ましい発展を遂げつつあるが、それでも現在の1か月当たりの最低賃金は182ドル(※2018年10月5日「プノンペンポスト」より)。日本円で約2万円である。脇道に一歩逸れれば、現地の人たちは慎ましい暮らしをしていた。 「現地で出会った人の家に招かれたことがあって。木造の掘ったて小屋みたいな。そこでご飯が出されたのですが、僕以外、誰も手を付けない。どうしたのかなって思ったら『これは君のためのものだ』って。まあ、ぜんぜん質素なおかずなのですが、たぶん彼らにとっては豪華なもの。絶対に僕よりも貧しいはずなのに、もてなそうとする。その姿に、自然と涙がこぼれました」
 海外では、原田氏がモデルだってことを誰も知らない。にも関わらず、困っていると親身になって助けてくれる。そんなひとつひとつの優しさに触れていくうちに、人間らしさを取り戻していったという。 原田勇介 アジアやヨーロッパをはじめ、マイアミやハワイなど、ヒッピーの聖地にも足を運んだ。 「人間らしく、自由でありたいという気持ちが強かった。自由=ヒッピーというイメージから、世界中の“ヒッピーの聖地”と呼ばれる場所を巡りました。ちなみに、最近の僕のインスタグラムの投稿では、裸になっている写真も多いのですが、それはメンエグの体を張った企画の残滓なのかもしれません。全国誌で赤フンドシ一丁の姿を何度も晒していたので、人前で脱ぐことにも抵抗がなくなった(笑)」
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西成出身という事実
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