グラドルから台湾女優に転身した大久保麻梨子「日台の架け橋になりたい」
18歳のとき、パチンコ「海物語」シリーズのキャンペーンガール「ミスマリンちゃんを探せ!!」オーディションでグランプリを獲得し、「初代ミスマリンちゃん」に選出。その後も、多数の雑誌の表紙を飾るグラビアアイドルとして活躍した大久保麻梨子さん。そんな大久保さんは今、台湾に移住して結婚、台湾で女優として大活躍中で、今後は日本での活動も再開するという。なぜ海外移住したのか、今後の目標は何か。日本を代表する台湾女優・大久保麻梨子を直撃した。
――以前は日本でグラビアアイドルとして活動されていた大久保さんですが、台湾に移住したきっかけは何だったのですか?
大久保:子供のころからお芝居をしたいという憧れがあって、2008年の23歳のころ、年内にグラビアを卒業すると自分で決めたんです。それで空いた時間にいろいろな舞台や映画などの作品を見ていたら、「こんなにすごい人たちのなかで、私には生き残っていく武器も特色もないし、女優としての経験値も持ち合わせていない」と感じ、ふと思い立って一人で台湾に渡ったんです。2010年、26歳のときでした。
――なぜ台湾だったんですか?
大久保:語学は大好きで、それまでスペイン語や韓国語を勉強したことはあったのですが、中国語はなかったから中華圏に行ってみようと思って。
――単身で訪れた台湾はどうでしたか?
大久保:せっかく行くなら現地の人と話してみたいと思って初級者の本を1冊丸暗記したんですけど、中国語って発音がめちゃくちゃ難しくて。でも、台湾の方はわかろうとしてくれたり、近所の日本語がわかる人を連れてきてくれたり、現地の方と触れ合って優しさを感じましたね。
それに、台湾のテレビでは日本のバラエティ番組やドラマも放送しているし、書店では日本の雑誌がそのまま中国語に翻訳されて並んでいる。日本建築物も多くあって、台湾ってどこか日本の田舎を思い出すような街並みが素敵ですよね。外国だけど外国じゃない。すごく親しみが持てる国だなと思って、帰りの飛行機の中で「台湾に留学しよう」「ここに引っ越してやってみよう!」と決意してました(笑)。
――その半年後には移住をして、台湾生活が始まったと。
大久保:はい。台湾で芸能事務所に所属することができ、語学学校に通いながら、オーディションに行ったりしていました。当初はやはり、中国語の発音の壁にぶち当たりましたね。だから最初の1年間は朝から晩まで中国語漬けで、日本人の友達は作りませんでした。
でも、中国のテレビって全部中国語の字幕が出るんですよ。中国語を聞きながら、何て言ったのか字幕で確認できる。言語学習者にはすごくありがたい環境でした。
しかも同じ番組が2時間後に再放送されるので1日に何度も見ることができて、バラエティでも知らない単語はメモして、何度も復習で一生懸命見ていましたね。テレビは100チャンネルくらいあるから、選び放題でした(笑)。
――台湾での芸能活動はどうでしたか?
大久保:最初は言葉が話せなかったのでCMが多かったですね。歯磨き粉、洗濯機、エアコン、冷凍食品など、いろいろなジャンルのCMや、台湾ドラマの中での日本人役にも出演させていただきました。
――転機になったのは何がきっかけでしたか?
大久保:3年目に出演したドラマ「愛情替聲」での演技で、台湾最大のテレビアワード「第48回金鐘獎」の最優秀助演女優賞を受賞したことですね。今までテレビで見ていた賞を、まさか自分が受賞できるなんて夢のようでした。それからは連続ドラマや映画の主演や、女優としてCMのオファーをいただいたりしました。そういえば、ドラマ『孤独のグルメ』では、五郎さんが台湾に出張することになる回で、私は台湾のお店の娘役として五郎さんと共演させていただいたこともあるんですよ!
――SPA!との縁を感じます(笑)。その後も、中華圏を代表する映画賞「金馬奨」最優秀作品賞の映画「血観音」などにも出演されたそうですね。今後の目標について教えてください。
大久保:これまでは台湾での活動でしたが、今後は日本、台湾、アジアでも幅広く女優業の活動をしていきたいと思っています。日本と台湾の架け橋になって、日本の魅力を台湾の人に伝えたいし、台湾の魅力を日本の皆さんに伝えたいですね。
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