更新日:2019年10月31日 09:09
エンタメ

10年前に柔道で全国優勝した少女がセクシー女優に。柔道を辞めた理由を語る

人生の転機、柔道を辞めた理由

AYA「いま振り返ってみると、その選択が人生の転機だったのかな。もしも、そのまま強豪の大学に入っていたら……今頃は、オリンピックを目指していたのかもしれませんね」  彼女はその選択に対して「決して後悔はしていません」と気丈に振る舞うが、現役で活躍する選手の名前を挙げつつ、「あの子より私のほうが強かったんです」と悔しさも滲ませる。AYAさんは、強豪校ではなく、あえて柔道が弱い大学を選んだ。 「ずっと柔道ばかりやってきたから、もう少し女のコらしくなりたかったんです。オシャレをしている女子高生の姿を見て、素直に羨ましかった。父親の夢も叶えてあげたから、あとは好きに生きようって。ただ、スポーツばかりやってきたので、勉強では大学に入れない。それで、すごい失礼な話かもしれませんが、推薦がきていて学費も免除される、関西地方のいちばん弱い大学の柔道部に決めました」  大学側もまさかインターハイの覇者が入部するとは思っていなかったはずだ。監督からは寵愛を受けた。入部してすぐに団体戦のメンバーにも選ばれた。  柔道部では少し髪を伸ばし、学祭などのイベントではほんのりと化粧することも許されていた。ところが、入学から1年も経たないうちに暗雲が立ちこめる。 「監督には贔屓され、畳の上では誰が相手でも倒しちゃう。当然、まわりとはうまくいかなくて。次第に、自分自身でも孤立していくのがわかりました。すでに日本一にはなっていたから、目標を見失っていたこともある。そのうち、ここに4年間いても何の意味があるのだろうかって思い悩んでしまったんです」  畳の上では無敵の強さを誇っていたAYAさんだが、そこから一歩外に出れば、まだ19歳の少女だったのだ。それは日に日に彼女の精神を蝕んだ。そして、両親とも相談の上で退部を決める。こうして彼女の柔道家としての歴史は幕を閉じた。 「やっぱり、高校時代のインターハイ優勝とか何かを成し遂げたわけでもなく、中途半端に大学生活を始めて中途半端に辞めてしまったので……全くやりきった感じもなかった。このままでは柔道が嫌いになってしまうと思って、何も考えないようにしました」  大学生活は僅か10か月、柔道界の多くの人間が「彼女のその後」を知る由もなかったのである。<取材・文/藤井厚年、撮影/長谷英史>
明治大学商学部卒業後、金融機関を経て、渋谷系ファッション雑誌『men’s egg』編集部員に。その後はフリーランスとして様々な雑誌や書籍・ムック・Webメディアで経験を積み、現在は紙・Webを問わない“二刀流”の編集記者。若者カルチャーから社会問題、芸能人などのエンタメ系まで幅広く取材する。X(旧Twitter):@FujiiAtsutoshi
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※近日、続編を公開予定。柔道で全国大会制覇を成し遂げたAYA(鮫島るい)さんがセクシー女優になった理由とは!? 激動の人生に迫る!
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