柔道全国大会の覇者がセクシー女優になるまで…「柔道を辞めて“何もない自分”を実感した」
「時系列語ると収まりきらないから10年前と今でよき?」
自分史を時系列で紹介する「#10年間を振り返る」というハッシュタグがTwitterでトレンド入りした際、劇的なビフォー&アフター写真が大きな話題を呼んだ。投稿者は、現在はセクシー女優として活動するAYA(鮫島るい)さんだ。
僅か10か月の大学生活で柔道の道を諦め、その後は実家に戻ったAYAさん。両親からはお金を稼いで食べていくために、何か仕事になるものを見つけなさいと言われた。そこで彼女は「柔道を辞めて“何もない自分”を実感した」と話すが、次に目指したものとは……。
「R&Bシンガーのリアーナが好きだったので、彼女みたいになりたいなって。それで、とにかくクラブに行こうと思ったのですが、今までオシャレなんてしてこなかったから。日サロで肌を焼いて、メイクやファッションもマネして」(AYAさん、以下同)
それまで柔道ばかりやってきた反動で、遊びたいという気持ちもあったという。しかし、貯金はすぐに底を尽いた。
焼き鳥屋でアルバイトをしながらクラブに通っているうちにフロアで妖艶に舞うゴーゴーダンサーの姿に魅了され、「私もなりたい!」と思った。だが、いざ仕事としてその道に足を踏み入れてみると、現実はそう甘くなかった。
「一見、華やかな世界で稼げると思っていたのですが、実際はギャラが厳しくて。都内の人気クラブでもワンステージで3000円〜5000円だった。衣装は自前だから、とてもじゃないけど採算が合わない。そこで、並行して別のことで稼がなきゃって。そんな時に、クラブで知り合った人から紹介されて、今で言うところの“パパ活”を始めました」
現在のようにスマホのアプリがあるわけではなかったが、インターネットや出会い喫茶でも相手を探した。ただ、個人では限界があり、何かあっても守られていないことに不安を覚えた。
そこで、AYAさんは風俗で働き始めたという。20歳の時から現在に至るまで約7年間に渡る……。
「ぜんぜん軽い気持ちでしたね。それよりもお金を稼がなきゃって。かと言って、キャバクラとかは性格的に無理だと思っていたんで。クラブでお持ち帰りされることもあったから、初めて会う人とも抵抗はなかったんです」
10年前の写真とは、今のド派手な黒ギャル姿と真逆の柔道着を身につけた黒髪スポーツ少女。それだけではない。全国大会と見られる優勝旗を手にしていたのだ。 AVの世界では、女優を売り出すために元スポーツ選手や元読者モデル、元CAなどのキャッチコピーがつくこともあるが、果たしてどこまで本当なのか。いわばファンタジーが入り交じっている。しかし彼女の場合、その実績は紛れもない事実だったのである。 【前回記事】⇒10年前に柔道で全国優勝した少女がセクシー女優に。柔道を辞めた理由を語る 柔道強豪校・埼玉栄高校の柔道部に所属し、2009年に奈良県で開催された第58回全国高等学校柔道大会(インターハイ)で優勝。得意の内股を代名詞に、その名を轟かせた。だが、インターハイの覇者に登り詰めながら、中途半端な気持ちで入った大学で挫折。柔道界から姿を消した。すべてを失ったAYAさんは、その後どのような経緯でセクシー女優になったのだろうか。本人を直撃した。時系列語ると収まりきらないから10年前と今でよき?
— AYA(鮫島るい) (@ayanna1992) September 24, 2019
左:10年前
右:現在#10年間を振り返る pic.twitter.com/DVuxDLRzze
“何もない自分”がお金を稼ぐために…
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明治大学商学部卒業後、金融機関を経て、渋谷系ファッション雑誌『men’s egg』編集部員に。その後はフリーランスとして様々な雑誌や書籍・ムック・Webメディアで経験を積み、現在は紙・Webを問わない“二刀流”の編集記者。若者カルチャーから社会問題、芸能人などのエンタメ系まで幅広く取材する。X(旧Twitter):@FujiiAtsutoshi
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※近日、続編を公開予定。10年前に柔道全国大会で優勝していたセクシー女優のAYA(鮫島るい)さん。かつてのライバルたちに触発され、総合格闘技の世界で再起を誓う。過去に置き忘れてきた栄光を取り戻すことはできるのか。激動の人生に迫る!
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