福山雅治が恋愛を振り返る「10代、20代は恋愛を頑張ってやっていた」
11月1日公開の映画『マチネの終わりに』で主演を務める福山雅治。平野啓一郎の同名小説を原作に、福山演じるクラシックギタリスト・蒔野聡史と、石田ゆり子演じるジャーナリスト・小峰洋子という40代の男女が繰り広げる大人の恋愛を静謐なタッチで描いた本作。クラシックギターに初挑戦するなど、第一線のエンターテイナーでありながらもアグレッシブな姿勢を崩さない福山に、ミュージシャンであり俳優としての表現論、そして一人の男としての恋愛観について聞いた。
――映画のなかで、蒔野と洋子は出会って6年で3度しか会っていないにもかかわらず、静かに激しく情熱の炎を燃やします。福山さんは二人の恋愛をどこまで理解できますか。
福山:理解できるできないというより、素敵だなと思いました。男性でも女性でも、30代後半から40代にかけてというのは、仕事面でも生活面でも、「自分の人生に必要なパートナーとは?」と深く自問する時期ですよね。そのなかでの3回というのは少なく感じますが、でも、それほどまでに強く惹かれる人がいた、ということなんでしょうね。
――福山さん自身、恋愛観は年齢とともに変化していきましたか?
福山:変化しました。10代、20代のころは恋愛に対して頑張っていましたね(笑)。だけど、10代、20代のころって、自分でもよくわからない理由で人を好きになって、よくわからない理由で好きじゃなくなっていく。でも、別れを切り出せず、なぜかその恋愛を「続けよう」と頑張ってしまったり。
もちろんそこには相手を傷つけたくないという気持ちや、自分が傷つきたくないという気持ちがあるんですけど、同じくらいに、「この人を好きになった自分の感覚を否定したくない」という気持ちもある。その感覚を否定しちゃうと、自分の人に対する見方とかも全部否定することになってしまいますから。
――まるで迷路のようですね。
福山:とっくの昔に恋愛感情は消えてしまっているにもかかわらず、何とか好きでい続けようと、お付き合いすることを頑張ってしまう。もう好きじゃないのに(笑)。そんな感じで30代くらいまで頑張ってたのかもしれません。いい意味でも悪い意味でも、蒔野と洋子は恋愛を頑張ってしまったんですよ、たぶん。
――蒔野を演じるにあたり心がけていたことは何ですか?
福山:僕は彼の“暗さ”が好きなんです。決して“陽”の人ではない。これは音楽にせよ役者にせよ表現を仕事としている人特有のもので、それが女性から見ると陰だったり物憂げだったり、一見素敵に見えがち。胸襟を開かないというか、あまり感情を表に出して人と向き合わない雰囲気は意識しました。
――同じ表現者として共感する部分はありましたか。
福山:僕自身も音楽を仕事としているので、どこかで「俺こそが」という強いエゴと、一方で「あいつには敵わない」と他者の才能に打ちひしがれる、その両方を抱えながら生きています。原作の蒔野が敗北感を抱くように、才能を持った若手と出会ったときの恐怖感というのはあります。
と同時に、「俺はもっとやれる」という自分のイメージと現実との乖離、それを受け入れられない苦しみも理解できる。例えばギターでもピアノでも、やっぱり「若い人」が弾くと「若い音」になるんですよね。表現における人を惹きつけるある種のスリリングさ。若さゆえの勢いと不安定さが魅力になる。でも、年を重ねないと出せないスリリングさもある。だから僕的にはそっちの追求になっていきますよね。
10代、20代のころは恋愛を頑張ってやっていた
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