更新日:2023年04月27日 10:13
スポーツ

日本人野手のメジャー挑戦は鬼門…筒香、秋山、菊池の可能性を日本人大リーガーの成績から読む

新庄剛志(2001年~2003年 ニューヨーク・メッツ、サンフランシスコ・ジャイアンツ)

■メジャー成績 303試合 打率.245 本塁打20  イチローがアメリカへ渡った2001年、同じく日本人野手としてアメリカンドリームを追ったもう一人のプレーヤーが新庄剛志だった。それまでメジャーで活躍していた日本人が投手のみだった時代、日本球界の「もう一人のスター」の挑戦はどこか異色にも感じられた。
新庄剛志オフィシャルブログ

画像:新庄剛志オフィシャルブログ

 メッツ所属となった渡米1年目、開幕メジャー入りを果たすと開幕戦で初安打を記録すると、その後もレギュラーでの出場を続けメジャー定着を成し遂げる。シーズン終盤には日本人初の4番を打つなど移籍当初の不安を吹き飛ばし、鮮烈なまでの輝きを放ちメジャー1年目を駆け抜けた。  トレードでも経験し、二年目はサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍、ここでも日本人として初めてワールドシリーズにも出場した。だが、翌年には再びメッツへ復帰するも打率.193と振るわず、マイナーでの生活が続いた。シーズン途中、メッツより解雇通告を受け、3シーズンでアメリカでの戦いを終える。いくつもの華々しい活躍をみせたことは確かだが、メジャー、マイナーも行き来したことで、野手としてのメジャー挑戦の現実を示した初めてのプレーヤーだったと言える。

城島健司(2006年~2009年 シアトル・マリナーズ)

■メジャー成績 462試合 打率.268 本塁打48  日本人として初めて、そして現在まで唯一キャッチャーとしてメジャーのユニフォームに袖を通したのは城島健司だ。2006年FAにより福岡ソフトバンクホークスからシアトル・マリナーズへ移籍、入団1年目より144試合に出場し打率.291、本塁打も初年度での日本人最多となる18本を打ち、翌年には守備率と盗塁阻止率で両リーグトップを記録するなど、攻守にわたり存在感を示した。  ただ、入団4年目にはシーズン中での2度の故障者リスト入りなどもあり出場機会が激減し、その年限りでマリナーズを退団、日本球界へ復帰を果たした。渡米当初より、日本人にとって未知の領域だった捕手での移籍とあって、それまでの日本人選手以上の注目を集めた。アメリカでの活動期間は4年にとどまったものの、バッテリー間のコミュニケーションやクロスプレーでの大柄なランナーとのせめぎ合いといった、日本のファンに「新たな景色」を伝える存在としても貴重な役割を果たした。 ――MLBに渡った日本人プレーヤーで、先発、中継ぎ、抑えとそれぞれの分野での活躍がみられてきた投手と比べ、野手ではイチローや松井秀喜の様に長年にわたって高いパフォーマンスを披露する例は極めて稀と言って良いだろう。いくつもの理由があるにせよ、投手以上に多くの試合をこなし、常時出場が求められる野手にとってやはり基本となるコンディション管理が重要となるのは間違いない。  試合数や連戦が日本より多いメジャーリーグにおいて、常にグラウンドに立ち続け自身の個性を発揮する、決して簡単ではないが秋山、筒香、菊池のより高いステージでの活躍に大きな期待を込めたい。彼らの背中に日本人野手が「挑戦」だけにとどまらず、「成功」を掴む姿を思い描きながら。<文/スポーツライター・佐藤文孝>
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