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柔道五輪代表争いは稀にみる激戦…66kg級で阿部一二三と争う丸山城志郎に注目

 柔道家・丸山城志郎は今年8月、東京での世界選手権を制しており、66㎏級代表選考で最も五輪に近い位置にいた。先ごろ行われた、柔道グランドスラム(GS)大阪では決勝で阿部一二三に延長の末に敗れ、この大会での五輪代表内定は得られず、選考レースは来年の各大会にまで持ち越されている。とはいえ、有力候補であることに変わりはなく、この階級では今、最も勢いに乗っている存在と言えるだろう。
 今年、世界王者にまで登り詰めたことをはじめ、最大のライバル・阿部からの勝利を手にしたこともあり、2019年はその実力が一気に開花した年だった。26歳という年齢で、これまでで最高の成績を残したことで、それ故、世間では「遅咲き」、さらには「苦労人」とのイメージが定着しつつある丸山城志郎。  これまでの経歴を見る限り、その見方は間違いではないのかもしれない。だが、2019年の飛躍は、丸山の備えていた素質、実力からすると、やはり必然だったのではないだろうか。

かつての五輪代表の父を持ち

「血統」は折り紙付きだ。  父・顕志も柔道家であり、現役時代は城史郎と同じ軽量級において国内屈指の実力者としてその名を轟かせた。変形の袖つり込み腰「丸山スペシャル」を得意技とし、1980年代から90年代にかけ正力杯、アジア選手権優勝など主要大会で実績を残した。1992年のバルセロナ五輪にも65㎏級代表で出場している。  同五輪代表には当時の重量級第一人者である小川直也、世界選手権覇者の岡田弘隆や古賀稔彦、越野忠則等、そうそうたる陣容が居並び、父・顕志が戦い抜いた時代は現在以上に日本柔道が隆盛を誇っていた。  言うまでもなく、その父親から陶酔を受け、また一つ違いの兄・剛毅もジュニア時代より世界大会で優勝する実力者とあって、幼いころより柔道家としての志が植え付けられてきた。  ただし、受け継がれた素質だけで現在の地位にまで登り詰めたわけではない。

実力を支えるのは苦難を克服する底力

 天理大学在籍時、国際大会を制するなど、国内外で頭角を現し始めた頃、左膝前十字靭帯断裂の大怪我に見舞われ、長期にわたり畳から離れている。  また、現在でこそ最強の好敵手として鎬を削っている阿部一二三の存在も、「高い壁」として立ちはだかっていた時期があった。阿部にはことごとく要所で苦杯を喫しており、2016年の選抜体重別、そして翌年のGS・東京といずれも決勝で阿部の後塵を拝している。後に連勝を遂げ、追い越したかにみえたが、4歳年下のライバルの存在を乗り越えることが容易いことではないことはここまでの戦績が物語っている。五輪切符に王手を掛けていた、先のグランドスラム大阪では右膝の負傷の影響があったとはいえ、決勝で再び阿部の執念に屈している。  さらには父・顕志との師弟関係も時に、極端なまでの指導(3年以上に渡り一切の連絡が途絶えるなど)があったという。  あらゆる逆境を受け入れ、恐れずに挑み、克服しようとする姿勢こそ城志郎が「強者」になり得た最大の要因ではないだろうか。
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世界王者としての風格、そして五輪でも
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