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<中森明夫×島田雅彦対談>自分を徹底的に微分して真実を見極めることで、 私小説は普遍的な物語になりうる

普遍的な物語としての私小説の可能性

島田:日本の近代文学は、ヨーロッパ文学を取り入れながら私小説という独自のジャンルを編み出し、それが、近代文学の王道になっていきました。キリスト教的な告白という文化、伝統のない世界で、恥も何もかも洗いざらいぶちまけるという文学の伝統があることが大事なんです。露悪的なことも含め、自分を徹底的に微分して、真実を見極めていくことで、普遍的な物語になりうる。そういう可能性があるから、日本の私小説は「Iノベル」として海外に輸出され、注目されている。 中森:古市憲寿の作品など、最近の私小説はどう見ていますか? 『平成くん、さようなら』は「三人称で書かれた自分史ポルノの域を出ていない」、『百の夜は跳ねて』は「ナルシスト的私語りが中心で、リアリティ構築に必要な細部も情報のパッチワークに終始している」「それでも確実に進化はしている」と評していましたね。 島田:それなりに評価はしています。 中森:高層ビルの窓拭きが主人公の『百の夜は跳ねて』は参考文献に小説『天空の絵描きたち』(木村友祐)を挙げたことで、盗作だ云々と酷評する選考委員もいた。僕は古市氏と交流があり「ひどいこと書いてる連中を高層ビルの窓拭きのゴンドラから全員、突き落としてください!」と彼にメールしました(笑)。

二人の自伝的青春私小説には80年代、昭和へのノスタルジーも込められている

島田:しかし、中森さんは相変わらず多動ですね(笑)。話題が好き勝手に飛ぶし、小説の書き方自体も多動。『青い秋』も時系列を入り交じらせることが流行だとはいえ、やりすぎ感があります。 中森:あれは、南米、アルゼンチンのフリオ・コルタサルの短篇「夜、あおむけにされて」(短編集『遊戯の終わり』所収)を意識しているんです。直木賞の選考委員、たとえば浅田次郎さんとかは読んだことのないジャンルでしょうが……(笑)。そういうところが僕の弱点でもあるんですが、時系列を入り交じらせることには、80年代、昭和へのノスタルジーがある。『君が異端だった頃』にも、同じ匂いを感じます。 島田:80年代、昭和の記憶がやけに濃厚なのは、人には直接会うこと、どこかへ必ず足を運ぶことが基本だったからです。すべて、フィジカルなものです。 中森:当然、記憶にも残ってきます。 島田:新聞記事も必ず取材をして、書いていました。どこかへ行って、誰かと会って、記事にしていた。いまはネット検索、ネット中継だけで記事になることもありますからね。 中森:「裏を取りましたか?」と聞くと、「はい、ウィキペディアで取りました」なんてことが、冗談話ではなくなってきている(笑)。また、体臭がありました。いまのように無臭化されていなかった。 島田:どこも臭かったからね(笑)。ウォシュレットもなかった。うちは30万円くらいの時代に入れたから、早かったんですけどね。 中森:いつウォシュレットを入れたのか、強く記憶に残る時代だった。いまは家にもともとありましたという時代だから、記憶にも残らないし、物語にもならない。

60年代生まれ世代には、背負うものが何もなかった

中森:僕らの前の世代だったら、三島由紀夫だったら天皇、大江健三郎だったら障碍者の息子、中上健次だったら“路地”という問題を抱えていた。どれもが1987年に始まった『朝まで生テレビ』で扱うような大きなテーマになります。 島田:みんな、いろいろ背負っていた。しかし、僕たちの時代には、何もない。 中森:中上健次によく言われていたのは、「お前も俺と同じ“路地”出身だろう」ということ。中上は和歌山県新宮市出身、僕は三重県志摩市出身で同じ紀伊半島の東側だけれど、違うんですよ。でも、何かそういう話が広まっていたみたいで、『BRUTUS』に「中森明夫は枯木灘に帰れ」と書かれたこともあります。 島田:僕なら「多摩丘陵に帰れ」と書かれるのかな。昔は背負う宿命みたいなものもあったけれど、いまはそんなものはなく、薄っぺらい。 中森:しかし、逆に、何もないほうがいいんです。困難ななか、テーマを見出していくほうが、むしろおもしろいと思います。『青い秋』は、天皇退位が決まって平成が終わる代替わりのタイミングで人生を振り返って書いたんですが、それもテーマとして強く意識したわけではなく、たまたまなんですよ。ただ、天皇陛下と同い年、同学年というのは大きいかもしれません。僕も陛下も昭和35年生まれで、昭和をほぼ30年、平成をほぼ30年、生きてきた。 島田:『君が異端だった頃』も代替わりとは薄い因縁しかありません。ただ、歴史というのは反復の原理が働きます。だから、令和という元号に「和」を使ったのは、昭和の「和」を反復している。令和という時代は、昭和ノスタルジーがあると思います。 中森:これから、東京オリンピックがあり、大阪万博もある。 島田:高度経済成長期の夢をもう一度、と。しかし、一方、戦前の昭和へのノスタルジーも色濃く感じます。たとえば、安倍政権は戦前の昭和の反復をしようとしていて、その障害が出ている。忘却してしまうため、歴史は反復してしまう。それに、抵抗しなければいけないんだけれど、いま官庁や企業で責任ある立場にいるヤツらは歴史を知っているくせに知らないふり、忘れたふりをしている。 中森:なるほど、忘却を阻止するためにも、情報公開が必要になる。また、島田さんが夏の参院選でれいわ新選組の応援演説をしたり、Twitterでも政治的発言が多いのはそのためですね。確かに、僕たち昭和の記憶を持つ世代はいまの政治体制の虚妄、いい加減さを歴史に照らして指摘していく義務があるかもしれませんね。ところで、島田さんは天皇制を扱った『彗星の住人』『美しい魂』『エトロフの恋』という「無限カノン」三部作を書いています。そして、今年、「無限カノン」第四部「スノードロップ」を発表しました。 島田:代替わりがあったからこそ、「無限カノン」を転生させて、第四部を書きました。 中森:単行本は来年刊行予定とのことで未読ですが、楽しみにしています。
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多義的な価値観で生きていくことで人生は楽になる
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