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<中森明夫×島田雅彦対談>自分を徹底的に微分して真実を見極めることで、 私小説は普遍的な物語になりうる

80年代に新人類の旗手としてデビューを飾り、作家・アイドル評論家として活躍を続ける中森明夫氏と、同時期に日本のポストモダン文学を牽引し、現在は芥川賞の選考委員も務める作家の島田雅彦氏。デビューから三十余年を経た2019年、中森氏が『青い秋』、島田氏が『君が異端だった頃』、ともに自伝的私小説を上梓した。還暦を前にした二人が、なぜいま私小説を書いたのか? 二人と縁が深い伝説の作家・中上健次のボトルが今も残る新宿の文壇バー・風花で語り合った。

二人が対談したバー・風花には今も「中上」の文字が書かれたボトルが残っている

『青い秋』では青いままに人生の秋を迎えた中高年の“いま”を描いた

島田:『青い秋』、おもしろく読ませてもらいました。自分で書いたような感覚になったりして(笑)。 中森:『君が異端だった頃』に抱いた時代の共有感は、半端ないものがありました。島田さんとは同世代なうえ、世に出たのもほぼ同時期ですからね。 島田:『青い秋』というタイトルも二度目の思春期というか、中高年の思秋期……そういうものを、ずっと引きずっている感覚が自分にもあります。 中森:「青春」とは中国起源の言葉で「朱夏」「白秋」「玄冬」と続く。いまの自分は「白秋」のはずですが、僕は妻子も持たず、一人暮らしで、青いままだと思う。そして、僕ほどではなくても、成熟しきれないまま「青い秋」に留まっている人って実は多いのでは、と思い至った。それで、小説のタイトルにもしたんです。

「僕は妻子も持たず、一人暮らしで、青いままだと思う」(中森)

NYまで島田雅彦を追いかけてきた迷惑な先輩作家、中上健次

中森:二作は同時代が舞台ですが、共通して登場する人物は、実は中上健次くらいですね。今日対談しているバー・風花は最初、中上に連れてきてもらいました。『青い秋』にも書きましたが、初対面のとき、店に向かうタクシーの中で「小説を書けば、(中上が選考委員を務めていた)文學界新人賞を獲らせてやる」と迫られた。島田さんは、そういうことはありました? 島田:「新人賞を獲らせてやる」は中上が迫るときの常套手段ですが、若手作家でセクハラを受けたのは私ではなく佐伯一麦かな。僕は「島田を殴る」と言われ逃げ回っていました(笑)。 中森:しかし、中上は「島田には絶対に文学賞をやらない」と散々抑圧しておきながら、傷心で日本から逃避した島田さんをNYまで追いかけていったんだから、結局、愛していたと思う。 島田:「ちょっとLAに用事があって、ついでに立ち寄った」って。なんで、LAから六時間も飛行機に乗ってついでにNYに来るんだ。自分で突き落とした相手を慰めて恩を売る迷惑な先輩でしたね(笑)。 中森:平成になってからは、作家にもコンプライアンスが求めらるようになりましたからね。令和のいま、セクハラやマウンティングは御法度になっている。 島田:80年代まではパワハラ、セクハラが日常茶飯でしたからね。いまから見れば、昭和の文豪たちは“人非人”ですよ。

舞台芸術と深い関係を持っていた昭和の文豪たち

島田:中上健次のような、「作家は偉い」「そのなかでも俺が一番偉い」というマウンティング気質は、実は安部公房譲りのものなんです。だけど、なにせ元祖“箱男”ですから、安部公房の人となりを知っている人は極端に少ないんです。引きこもりで、あまり人前に出てこなかった。 中森:安部公房の愛人だった、女優の山口果林くらい(笑)。彼女の著書『安部公房とわたし』の口絵に載っているように、安部公房は山口のヌード写真も撮っていました。山口果林は1971年のNHK朝ドラ『繭子ひとり』のヒロインでしたから、いまだったら、西村賢太がのんを撮っているみたいなものです(笑)。 島田:三島由紀夫も戯曲を書いていて、文学座、劇団NLT、浪漫劇場などに深く関わっていました、小説家というのは、パフォーミングアートに触れたいという欲望を持っているんです。そういう意味では、安部さんは「安部公房スタジオ」を主宰、劇団を持っていたんだから、作家の夢を実現していた。大岡昇平にしても、作品が映像化されるときに岸田今日子さんとか、出演する女優と会っていました。岸田今日子の父親は劇作家で文学座を創設した岸田國士ですから、大岡昇平にもタメ口だったそうなんです。しかし、それを大岡昇平も喜んでいたという(笑)。そういうふうに、もともと、文豪と舞台芸術の関わりは深いものがあったんです。 中森:島田さんも、唐十郎さんの状況劇場で役者修業をしたり、芝居やオペラの台本も書いています。さらに、『東京の嘘』で映画の主演もしている。 島田:谷崎潤一郎の作品も数多く映画化されていますが、本人も作品の映画化に熱心でしたし、映画制作に関わっていた。川端も大正、昭和モダニズムで女子供に読者が広がったことを猛烈に意識して小説を書いています。 中森:『伊豆の踊子』の主演女優になるためには、『眠れる美女』のように川端康成と裸で添い寝をしなければならないという都市伝説もありました(笑)。加賀まりこは川端とよくデートしていたとテレビで語っていましたが、彼女の行きつけだったイタリアンレストラン、飯倉・キャンティには大江健三郎や三島由紀夫もよく通っていたという。中上健次も生前の『青春の殺人者』『19歳の地図』をはじめ、映画化された作品は多いですし、『火まつり』で映画の脚本も書いています。そういう面でも、島田さんは昭和の文壇を受け継いでいる。

『君が異端だった頃』は作家として、情報公開の義務を果たすために書いた

中森:中上は1992年に46歳で亡くなってしまいましたが、島田さんは中上だけでなく、埴谷雄高や大岡昇平、安部公房など、昭和の文豪たちを直接知る、最後の世代の作家ですからね。現代に順応しつつ、昭和文壇の様子も仔細に描かれた『君が異端だった頃』がおもしろくないわけがありません。ただ、作中では自身の不倫経験まで書いていて、読者としては楽しめましたが、身内から何も言われませんでしたか? 島田:う~ん(笑)。でも、作家はプロの嘘つきだけど、事実も書けるということを示したかった。日本経済新聞の「私の履歴書」も自叙伝ですが、成功した経営者や文化人の自慢話ばかりで、不都合な真実を隠蔽している。都合の悪い資料は平気で焼却したりシュレッダーにかけるような輩が政権の座に居座り続けていますが、情報公開の観点からは許されるはずがない。 中森:島田さんは『君が異端だった頃』という作品で、作家として情報公開をしようとしたということですか? 島田:そうですね。

「作家はプロの嘘つきだけど、事実も書けるということを示したかった」(島田)

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普遍的な物語としての私小説の可能性
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